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HOME教会めぐりモデルコース紹介 > 島原半島コース(所要時間目安)

教会めぐり

島原半島コース(所要時間目安)

1 JR諫早駅
車70分
2 雲仙キリシタン殉教道
車10分
3 雲仙地獄殉教地の碑
車30分
4 金山城跡
車20分
5 沖田畷古戦場跡
車5分
6 島原殉教地
車5分
7 島原城
車5分
8 島原教会
車37分
9 吉利支丹墓碑
車12分
10 有馬川殉教地
車5分
11 日野江城跡
車36分
12 原城跡
車20分
13 口ノ津・南蛮船来航の碑
車5分
14 口之津港

※モデルコースは1日かけて巡るかなりハードなコースです。教会や資料館などの滞在時間を考慮して、自分なりにゆとりをもって調整しましょう。

2 雲仙キリシタン殉教道

雲仙キリシタン殉教道

小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地点。雲仙地獄で過酷な拷問を受けるキリシタンが、ここを通っていったと記す説明板が建てられている。

所在地 854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙札の原(国道57号線沿いの雲仙教会堂の入口)
交通アクセス 島原市内国道251号から雲仙方面へ国道57号を車で20分
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3 雲仙地獄殉教地の碑

雲仙地獄殉教地の碑

1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録がある。有馬晴信の家臣・パウロ内堀ら16人が最初の殉教者で、188福者となった。

所在地 854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙(雲仙公園ビジターセンター側の雲仙地獄の奥の十字架が目印)
交通アクセス 長崎自動車道諫早ICから車で65分
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4 金山城跡

金山城跡

城主の結城弥平次は、美濃(岐阜県)出身のキリシタンで、高山右近の家臣だった。伴天連追放令が出た時、宣教師を領内にかくまった。次に主君となった小西行長が関ヶ原で亡くなると、徳川方の有馬晴信に仕え、信仰を貫いた。城は伝道所になり、彼のもとに信徒が集まったという。しかし1613(慶長18)年、有馬直純に追放される。

所在地 - 長崎県雲仙市国見町
交通アクセス 雲仙グリーンロードと国道389号線の合流地点近く
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5 沖田畷古戦場跡

沖田畷古戦場跡

1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍と戦い、隆信が討ち死にした場所。

所在地 855-0032 長崎県島原市北門町
交通アクセス 国道251号線、島原新港付近
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6 島原殉教地

島原殉教地

1627(寛永4)年、15人のキリシタンが指を切り落とされ、舟に乗せられて厳寒の有明海に沈められて殉教した。その中の有馬の家臣パウロ内堀の3人の息子たちが188福者となった。

所在地 855-0802 長崎県島原市弁天町
交通アクセス 島鉄本社前駅から5分の霊丘公園の先の海付近
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7 島原城

島原城

1616年、大和(奈良県)五条から島原に移封した松倉豊後守重政は、1618年から7年余の歳月を費やして島原城を築きました。

城は昔「四壁山」「森岳」などと呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので別名を森岳城とも言います。南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所ありました。

内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続きます。本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えでありました。

城は松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・松平氏と4氏19代253年間の居城でしたが、1874年に廃城となり、民間に払い下げられました。以来、文字通りの荒城となっていましたが、1964年に天守閣が復元されたのをはじめ櫓も復元され、次第に昔の面影がよみがえっています。 

現在、城内の建物はキリシタン史料館(天守閣)、北村西望記念館(巽の櫓)民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されています。なかでもキリシタン史料館は、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料を展示しています。

所在地 855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183-1
内覧時間 9:00~17:30(入館は17:00まで)
拝観料・入場料 大人540円、小・中・高生270円、30名以上の団体は個人の2割引
交通アクセス 島鉄バス「長崎空港」から105分、「島原駅前」下車、徒歩5分/島原鉄道「諫早駅」から70分、「島原駅」下車、徒歩5分/長崎空港から車で90分・諌早ICから60分
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8 島原教会

島原教会

島原の乱後、キリシタンが根絶したとされる島原半島では、1902年からようやく再宣教が始まった。1932年に島原二の丸教会を建立し、1997年に現在のドームの教会が建てられる。敷地内には天正遣欧使節で、禁教下、口之津を拠点に九州の信徒を訪問した中浦ジュリアン神父像がある。

所在地 855-0807 長崎県島原市白土町1066‐3
内覧時間 9:00~17:00(※但し、①ミサ、冠婚葬祭時には不可の場合もあります。 ②閉まっている場合もあります。)
ミサの時間 日曜9:00 土曜18:00 平日6:10
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
交通アクセス 島鉄本社前駅から徒歩7分
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9 吉利支丹墓碑

吉利支丹墓碑

ローマ字文が刻まれた墓碑として日本最古とされる蒲鉾型の墓碑。共同墓地にある現在地の地下から1929(昭和4)年に発見された。1610年になくなった「フィリ作右衛門ディオゴ」というキリシタンのものである。

所在地 859-2212 長崎県南島原市西有家町須川東向共同墓地内
交通アクセス 島鉄バス 南島原市役所前バス停より徒歩15分
南島原市役所から須川港へ入ると案内あり
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10 有馬川殉教地

有馬川殉教地

棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族が、1613(慶長18)年、2万人以上の信徒が見守るなか、日野江城の前の広い浜で火刑となり、殉教した。その中には11歳の少年もいた。188福者となる。

所在地 859-2305 長崎県南島原市北有馬町
交通アクセス 諫早ICより車で80分
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11 日野江城跡

日野江城跡

一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。大手門付近などに石垣が残る。近年の発掘で、キリシタンとなった有馬義貞・晴信の時代の状況をかたる仏式の墓石等も利用して作った階段遺構などが発見された。

所在地 859-2305 長崎県南島原市北有馬町
交通アクセス 島鉄バス 南道バス停より徒歩10分。
東側の大手口、西側の浦口がある。
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12 原城跡

原城跡

原城は1496年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた
領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ
難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、
別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。

晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退
義直時代には、佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、
島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、
島原半島の南部をかろうじて維持できた。

有馬晴信が1612年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、
子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。

その後、1616年大和五条より松倉重政が入封、
一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、
日之江・原城は廃城となった。

1637年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。
世にいう「島原の乱」である。
昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。

原城本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望による
祈りをささげる天草四郎像や、西有家町の民家の石垣に埋もれていた
天草四郎の墓石が移されている。

また、この台地は約9万年前に起こった阿蘇火山の大噴火による
火砕流がつくったものであり、この地層の中には、
雲仙火山のものとは全く性質が異なる白い軽石が含まれている。


所在地 859-2412 長崎県南島原市南有馬町
交通アクセス 島鉄バス:原城前バス停より徒歩15分。
国道251号線沿い、南有馬町にはいると案内あり
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13 口ノ津・南蛮船来航の碑

口ノ津・南蛮船来航の碑

有馬義貞は弟の大村純忠が1562年に横瀬浦を開港したとき口之津を開港した。1582年まで7隻のポルトガル貿易船が入港した。宣教の拠点となった口之津には、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノも、1579年に口之津から日本に上陸する。

所在地 859-2504 長崎県南島原市口之津町唐人町区開田公園内
交通アクセス 島原鉄道:口之津駅より徒歩10分 県営・島鉄バス:口之津駅より徒歩10分 島鉄フェリー:口之津港より徒歩10分
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■ながさき巡礼についてのお問い合せ

長崎巡礼センター [住所]長崎市尾上町1-88 長崎バス観光案内所2階 [TEL]095-893-8763

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