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教会めぐり

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  • 米山教会-1

    米山教会

    五島列島

    新上五島町の最北端にある教会

    1903年に聖堂を創建した後、老朽が激しく現在の聖堂を1977年に建立。 他の五島の信徒と同様に、大村藩外海地区から移住したキリシタン達が信仰を深めた。 

  • 楠原牢屋跡-1

    楠原牢屋跡

    五島列島

    明治の始め、キリシタン迫害のために牢屋として使われた建物(復元)

    1868(明治元)年末、久賀島からはじまった「五島崩れ」はクリスマスの日に水ノ浦におよび、まもなく楠原のキリシタンも取り調べをうけて、仮牢となった帳方(キリシタン組織の最高責...

  • 相浦教会-1

    相浦教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    黒島の定期便から見える教会

    相浦の信徒は、1906年頃の平戸や西彼杵郡大島からの移住者に始まります。1938年に信徒の家が仮教会となり、1941年、集会所の名目で教会が建ち、相浦教会ができました。戦後は...

  • 吉利支丹墓碑-1

    吉利支丹墓碑

    島原・雲仙・南島原

    ローマ字文が刻まれた墓碑として日本最古とされる蒲鉾型の墓碑。

    ローマ字文が刻まれた墓碑として日本最古とされる蒲鉾型の墓碑。共同墓地にある現在地の地下から1929(昭和4)年に発見された。1610年になくなった「フィリ作右衛門ディオゴ」と...

  • 平戸市切支丹資料館-1

    平戸市切支丹資料館

    平戸・松浦

    納戸神などが展示され、密やかに守り抜かれた信仰の歴史を伝えています。

    平戸島の中央、根獅子の浜に隣接する資料館。 1550年(天文19)のザビエルによるキリスト教平戸布教以降、後続の宣教師による布教活動が行なわれ、根獅子では住民すべてが信者と...

  • 聖フィリッポ・デ・ヘスス教会-1

    聖フィリッポ・デ・ヘスス教会

    長崎

    26聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに…

    二十六聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。 メキシコから送られた浄財によって、浦上街道を挟んで西坂公園と反対側に建築家・今...

  • 有家キリシタン史跡公園(桜馬場キリシタン墓碑群)-1

    有家キリシタン史跡公園(桜馬場キリシタン墓碑群)

    島原・雲仙・南島原

    純白の十字架を立てた西洋墓地風の小さな公園で、町内で発見されたキリシタン墓碑21基が合祀されている。

    長崎県内のキリシタン墓碑はそのほとんどが島原半島に偏在しているが、特に有家町には53基と半島内で最も多く確認されている。昭和62年、島原の乱後350年忌の記念事業として設置さ...

  • 崎津教会-1

    崎津教会

    島原・雲仙・南島原

    キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきている。1928年から主任…

    キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきている。1928年から主任司祭となったハルブ神父が庄屋屋敷跡を買い取り、1934年に現教会を鉄川与助の設計・施工で建...

  • 植松教会-1

    植松教会

    諫早・大村

    禁教下、キリシタンが姿を消した大村藩城下。明治20年代、竹松郷にクザン司教らが土地を購入し、孤児院兼教会が設営された。そこへ浦上、出津、黒崎、黒島などから信徒が移住。しかし第2次世界大戦で土地は軍に買収され、教会は徳泉河内郷に移転。戦後、植松に移り、現教会が1975年に建つ。

    禁教下、キリシタンが姿を消した大村藩城下。明治20年代、竹松郷にクザン司教らが土地を購入し、孤児院兼教会が設営された。そこへ浦上、出津、黒崎、黒島などから信徒が移住。しかし第...

  • 真手ノ浦教会-1

    真手ノ浦教会

    五島列島

    2010年に建て替えられた教会。

    国道から集落に入り教会へ向かう途中にある「オラショ館」は、いつからあるのか分からないが、真手ノ浦集落の最初の祈りの場であったと伝えられている。 1956年、手狭になったために...

  • 青方教会-1

    青方教会

    五島列島

    2000年に現在の教会堂に建て替えられた。

    1960年代から1970年代にかけて近隣の信徒達が集団移転により、上五島の中心である青方地区に転居移住を始めたため信徒数が急増、1975年に聖堂が建立された。 2000年に現...

  • 奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)-1

    奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)

    五島列島

    五島列島南部にある奈留島

    禁教期に外海の潜伏キリシタンが、海に近い谷間に開けたわずかな平地に移住して固有の信仰形態を続けた。 解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期以来の指導者の屋敷を「仮の聖堂」として...

  • 太田尾教会-1

    太田尾教会

    西海

    1929年に信者たちの手によって海を見晴らす斜面に建てられたゴシック様式の教会

    大島の新田開発で、外海神ノ浦から1820年に移住してきているという。1883年、外海の黒崎村の奉公先でカトリック信徒になった大田尾の女性が島に戻って信仰を続け、明治の中頃、上...

  • 岳教会-1

    岳教会

    長崎

    大村純忠支配下の福田浦は、1565年から長崎開港の1570年の間、ポルトガル船が入港し、福田村には修道士や司祭が派遣され、教会堂も建てられた。1614年の禁教令で長崎に集められた宣教師たちは福田浦からマカオ等へと追放された。明治後半、福田浦の裏山の岳郷に、外海から入植があり、次第にカトリック信徒の集落ができた。遠藤周作は偶然ここを訪れ、「沈黙」の舞台のモデルとなる外海の「黒崎村」の名を知る。

    大村純忠支配下の福田浦は、1565年から長崎開港の1570年の間、ポルトガル船が入港し、福田村には修道士や司祭が派遣され、教会堂も建てられた。1614年の禁教令で長崎に集めら...

  • 冷水教会-1

    冷水教会

    五島列島

    鉄川与助が棟梁となって初めて設計施工を行った教会

    冷水では五島崩れで迫害を受けた信徒は、逃れて戻ることはなかったらしい。今の冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々であるという。1907年に...

  • 三城城跡-1

    三城城跡

    諫早・大村

    大村純忠が1564年に築城した。1572年、後藤氏、西郷氏らに包囲…

    大村純忠が1564年に築城した。1572年、後藤氏、西郷氏らに包囲された決死の攻防戦「三城七騎籠り」の後の1574年、全領民のキリシタン化をおこなった。

  • 山野教会-1

    山野教会

    平戸・松浦

    隠れ里に佇む小聖堂

    山野教会は、1820年頃、外海から五島を経てキリシタンが移住してきた。 1872年に長崎で洗礼を受けた住人が指導者となり、1887年には最初の教会が建ち、1924年、こうも...

  • 稲佐教会-1

    稲佐教会

    長崎

     

  • 愛宕教会-1

    愛宕教会

    長崎

     

  • 土井ノ浦教会-1

    土井ノ浦教会

    五島列島

    旧大曽教会を移築し、内部には初期木造建築の様式が伺える。

    1915年に旧大曽教会を買い受け、大規模な修理を行って現在に至っており、港から見ると天を仰ぐように建っている。外見と違って中は極めて重厚な造りである。教会の隣には「カリスト記...

  • 浅子教会-1

    浅子教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    伝統的な長崎キリシタンの信仰を受け継いでいる小さな木造の教会

    西海国立公園九十九島を望む波静かな入江に面した小さな木造の教会で、築後70年を経た現在でも寸分の狂いも生していない美しい教会。歴史は古く、信徒の殆どが迫害に耐えたキリシタンの...

  • 大村純忠終焉の地(坂口館跡)-1

    大村純忠終焉の地(坂口館跡)

    五島列島

    諫早・大村

    日本初のキリシタン大名大村純忠が隠居し、1587年、55歳で亡くなった地。

    日本初のキリシタン大名大村純忠が隠居し、1587年、55歳で亡くなった地。未亡人は、同年、伴天連追放令が出されたとき、ここに宣教師をかくまい、息子の大村喜前が1606年に棄教...

  • 鈴田牢跡-1

    鈴田牢跡

    諫早・大村

    1617(元和3)年から5年間、宣教師たちが収容された牢屋跡。

    1617(元和3)年から5年間、宣教師たちが収容された牢屋跡。4年間入牢したスピノラ神父が書き残した牢の平面図と手紙から、12畳の鳥籠のような牢屋だったことがわかっている。

  • 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター-1

    長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター

    長崎

    「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の総合窓口

    世界遺産候補「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の情報発信と、教会群を訪れる際の総合窓口施設です。 教会群や関連地域のパンフレットのご用意をはじめ、書籍、パネル展示、...

  • 東長崎教会-1

    東長崎教会

    長崎

     

  • 西木場教会-1

    西木場教会

    平戸・松浦

    西木場は、明治中期、田平を目指して黒島や五島などからきた信徒が、落ち着いた地。田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造して教会とした。1949年、聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念事業として現教会が、鉄川組の設計で建てられた。

    西木場は、明治中期、田平を目指して黒島や五島などからきた信徒が、落ち着いた地。田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造して教会とした。1949年、聖フランシスコ・ザビエル...

  • 天草・島原の乱激戦地(祇園橋)-1

    天草・島原の乱激戦地(祇園橋)

    島原・雲仙・南島原

    1637(寛永14)年、島原での合戦の後、天草四郎率いる一揆軍と富岡城番代…

    1637(寛永14)年、島原での合戦の後、天草四郎率いる一揆軍と富岡城番代三宅藤兵衛率いる唐津軍との戦いが町山口川の祇園橋を挟んであった。両軍おびただしい戦死者を出す死闘が繰...

  • 頭ヶ島の集落-1

    頭ヶ島の集落

    五島列島

    五島列島北部に位置する頭ヶ島

    禁教期に外海の潜伏キリシタンが、仏教徒の開拓指導者のもと、無人島に移住・開拓し、自分たちで組織的に信仰を続けた。 解禁後、カトリックへ復帰し、海に近い谷間の奥にある仮御...

  • 赤波江教会-1

    赤波江教会

    五島列島

    五島灘に面した急斜面の山腹に建つ教会

    五島灘を眼下に見下ろす急斜面に赤波江教会は建っている。 1870年代の赤波江は、戸数わずかなキリシタン集落だったが、大瀬良宗五郎、赤波江助作、赤波江キタと言う伝道士がいて、周...

  • 大平教会-1

    大平教会

    五島列島

    若松島の北東部に建ち、白亜の外観と空にそびえる十字架鐘楼が重厚感を醸し出す教会。

    若松港から龍観山展望所入口をさらに海を眺望しながら7kmほど進むと、モダンな教会が突然あらわれる。 教会の前は、コバルトブルーのきれいな海、後ろは山の緑に包まれ、地理的に不便...

  • 船越教会-1

    船越教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    動植物園に隣接する閑静な教会

    1923年に鴛ノ浦(現在の鹿子前町)の信徒のために建てられた尾立山集会所が、1940年に、軍の施設拡充のために立ち退き命令を受けて、現在の船越教会の場所に移転し、1962年に...

  • 牧野教会-1

    牧野教会

    長崎

    牧野修道院が1970年に出津修道院と統合された跡地に建てられた教会。

    1921年、牧野に女性たちが修道生活と教会奉仕をする修道院(牧野修道院)が設立され、地区の老人や病院の便宜を図った礼拝堂も併設された。牧野修道院が1970年に出津修道院と統合...

  • 獄門所跡-1

    獄門所跡

    諫早・大村

    郡崩れで処刑された殉教者の首を晒されたという場所

    郡崩れで処刑された131人の殉教者の首が塩づけされ、みせしめのため20日間晒されたという場所。 1968(昭和43)年、聖母像が建てられた。

  • 本河内教会-1

    本河内教会

    長崎

    ポーランドから長崎にきたコルベ神父が、大浦から移って1931年に開いた。

    彦山の麓の本河内のコンベンツアル聖フランシスコ修道会は、1930年、ポーランドから長崎にきたコルベ神父が、大浦から移って1931年に開いたところ。機関誌「聖母の騎士」を通して...

  • 諫早教会-1

    諫早教会

    諫早・大村

    諫早へは、昭和の初め、長崎、大村から信徒の転入があり、当初、大村の竹松教会に行っていたが、昭和5~6年、個人宅の2階でミサが捧げられ、1932年、最初の教会が建てられた。翌年、五島からの転入がある。1953年に2代目を建立、現教会は、1983年に建立。

    諫早へは、昭和の初め、長崎、大村から信徒の転入があり、当初、大村の竹松教会に行っていたが、昭和5~6年、個人宅の2階でミサが捧げられ、1932年、最初の教会が建てられた。翌年...

  • 時津教会-1

    時津教会

    長崎

    長崎市のベッドタウンとして、また工場誘致などで人口が増えた時津町に、1979年、滑石小教区の巡回教会として、鉄工所の鉄骨を生かした26聖人に捧げた現教会が建立された。1981年、時津小教区として独立する。

    長崎市のベッドタウンとして、また工場誘致などで人口が増えた時津町に、1979年、滑石小教区の巡回教会として、鉄工所の鉄骨を生かした26聖人に捧げた現教会が建立された。1981...

  • 三ツ山教会-1

    三ツ山教会

    長崎

    帆場岳の麓の木場は、先祖が、伊達政宗によって派遣された慶長遣欧使節の随行員という伝承をもつ集落。洗礼を受けて禁教下の日本に戻ってきた先祖は、大村領のこの地で農民となって信仰を隠し暮らしてきたという。明治の迫害で信仰を表明した信徒が、大村牢に投獄された。教会堂は、信徒を監視した役人の屋敷跡のそばに建つ。

    帆場岳の麓の木場は、先祖が、伊達政宗によって派遣された慶長遣欧使節の随行員という伝承をもつ集落。洗礼を受けて禁教下の日本に戻ってきた先祖は、大村領のこの地で農民となって信仰を...

  • 大水教会-1

    大水教会

    五島列島

    幹線道路から外れ、東シナ海を望む急斜面に建つ教会

    番岳の北側山腹、東シナ海を望む急斜面に建っている。 明治初期の大水は、信仰を守る組織や伝道士の資格を持った信徒のいないキリシタン集落だった。 そのため迫害を受けずに済んだが、...

  • 雲仙教会-1

    雲仙教会

    島原・雲仙・南島原

    受難のキリシタン史を伝える雲仙には、1981年現教会が建てられる。島原に生まれ、1614年の禁教令発令後も司祭として残り、広島で捕えられ、雲仙地獄で拷問を受け、西坂で殉職したアントニオ石田と雲仙の殉教者に捧げられている。

    受難のキリシタン史を伝える雲仙には、1981年現教会が建てられる。島原に生まれ、1614年の禁教令発令後も司祭として残り、広島で捕えられ、雲仙地獄で拷問を受け、西坂で殉職した...

  • 牢屋の窄殉教記念聖堂-1

    牢屋の窄殉教記念聖堂

    五島列島

    弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地

    久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少で永里・赤仁田・細石流を統合し、「五島崩れ」から100年たった1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しま...

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