当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
街歩きの途中で出会う、長崎【平和の寄り道スポット】3選

1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されてから2025年で80年。
戦後80年という年月が流れた今でも、世界ではいまだ戦争や紛争等で苦しむ人々が多くおり、核の脅威に怯える現状があります。
以前、平和公園エリアを巡る平和ウォークの記事を書きましたが、今回は、街中にある観光スポットと合わせて訪れることができる平和関連施設を巡ってみました。
この機会に、改めて平和を考える旅をしてみませんか。
▼平和公園エリアの平和ウォークはこちら
掲載日:2025年06月25日
ライター:Miyako
市街地から少し離れた長崎の原爆落下中心地
1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町の上空約500メートルで原子爆弾が炸裂。一瞬にして多くの命を奪いました。
戦後、原爆落下中心地とその一帯は平和公園として整備され、落下中心地標柱として黒御影石の碑があります。周辺には長崎原爆資料館や平和公園をはじめ被爆遺構や史跡などが点在し、原爆の恐ろしさと平和の尊さを学ぶことができるエリアです。
原爆落下中心地は現在の長崎駅から3kmほど離れており、路面電車で15分ほどの場所。
原爆の悲劇を学び、平和を考えるために平和公園エリアを訪れることをおすすめしますが、長崎市中心部の観光名所近くにも平和への思いを深める場所がいくつかあります。
今回は、平和公園エリアから少し離れた市街地の街歩きの途中でも立ち寄れる3つの平和関連スポットをご紹介します。
①海の玄関口に佇むナガサキピースミュージアム
大型のクルーズ客船が入港する長崎港松が枝国際ターミナルビルのすぐそばに佇む「ナガサキピースミュージアム」。
1995年、戦後50年を機に長崎出身の歌手・さだまさしさんの「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」という呼びかけにより、ナガサキピーススフィア貝の火運動が誕生。2002年、NPO(特定非営利活動法人)ナガサキピーススフィア貝の火運動となり、2003年、活動拠点としてナガサキピースミュージアムが開館しました。
こじんまりとしたミュージアムには、平和や戦争に関する資料の常設展示をはじめ、世界中の子どもたちの笑顔の写真などが紹介されています。4週間ごとに内容が変わる企画展もあり、戦争だけでなく、人権や差別、環境問題や文化など、さまざまな角度から今の世界を伝えています。
重い話ばかりではなく、美しい自然や音楽、子どもたちの笑顔といった希望のあるテーマにも目を向け、「みんなが笑顔で暮らせる平和な世界をつくるには?」を考えるきっかけを与えてくれる場所です。
建築設計や照明デザイン等は、各分野で著名な方が関わっているそうです。
そして、館内で目に留まったのは「みどりのせんそうほうき」。日本国憲法にもある「戦争放棄」といじめや差別などを「ほうき」で一掃するといった想いが込められた手作りのアクセサリーで、自由に持ち帰ることができます。説明書きは英語版と日本語版があり、この想いを広めるためにボランティアの方が手作りされています。
訪れた記念に「みどりのせんそうほうき」を手に取り、大切な人に長崎からの平和のメッセージを届けてみるのも素敵な体験になるかもしれません。
ミュージアムは活動に賛同する全国の会員の会費と、一般の方々の募金などで運営されており、入場料は無料。みなさんの善意と平和への想いで成り立っている施設です。入口には募金箱が用意されているので、応援の気持ちとして、募金に協力するのはいかがでしょうか。
また、館内にはオリジナル商品や寄贈された物品を販売しているので、気に入った商品があれば購入してみてください。オリジナル商品はさだまさしさんのコンサートなどでも購入できるそうですよ。
グラバー園や大浦天主堂、長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館などの観光施設からも近く、気軽に立ち寄れる素敵なスポットです。
②図書館に併設された当時の様子を物語る「救護所メモリアル」
長崎市興善町にある「長崎市立図書館」が建つ場所には、かつて新興善小学校(国民学校)がありました。
原爆が投下された直後、このエリアは爆心地から少し離れていたため直接の被害は受けず、原爆による二次火災からも免れたため、救護所として多くの負傷者が運ばれました。
人々の命をつなぐ重要な役割を果たした新興善小学校は1997年に統廃合により閉校。2008年、跡地に長崎市立図書館が開館し、当時の診療室の様子を再現した「救護所メモリアル」が設けられました。図書館一階の一角にあり、廊下には当時の様子の写真や様々な方の証言が展示されていたり、診療室の正面のスクリーンでは1995年に制作されたこの救護所がテーマの映画「あの日、この校舎で」の短編版(約18分)を見ることができます。
原爆による惨状を救護所という目線で捉え、平和の大切さを考えさせられる「救護所メモリアル」。2025年8月に公開される看護学生たちの被爆者救護を題材にした映画「長崎 -閃光の影で-」の内容にも通ずるものがあり、映画を見た後に訪れてみるのもよいかと思います。
眼鏡橋から徒歩約10分ほどなので、近くにお越しの際は少し足を延ばしこちらにも訪れてみませんか。どなたでも自由に見学ができます。
③戦時中の「指令中枢」に触れる場所ー長崎県防空本部跡(立山防空壕)
長崎歴史文化博物館のすぐ隣、諏訪神社からもほど近い場所にある「長崎県防空本部跡(立山防空壕)」。
ここは太平洋戦争中、長崎県の防空対策を指揮する拠点として、知事室や警察部長室、防空監視隊本部が置かれていた場所です。空襲警報が出ると、県知事や警察部長をはじめとする関係者が集まり、警備や救護活動、各種応急対応の指揮、連絡にあたっていました。
原爆が投下された8月9日、この壕は爆心地から約2.7kmの距離にあったため直接の被害を免れましたが、爆心地の状況がすぐには把握できていませんでした。初めは被害軽微としていましたが、その後、詳細な情報が入ってくるにつれて、甚大な被害状況を国の防空総本部長官などへ電報で送りました。
無料で公開されており、見学時間はおよそ10分ほど。観光の合間にも気軽に立ち寄ることができます。当時の状況に思いを巡らせながら、この場所で静かに平和について感じてみてはいかがでしょうか。
長崎で、平和に想いを馳せるひとときを
旅の途中で、少し足を止めて、平和について静かに考えてみる―長崎にお越しの際は、そんな時間を過ごしてみませんか。
この記事を書いた人

#ナガサキタビブ 部員(公式ライター)
長崎の魅力を県外や海外の方に知ってもらいたい!
長崎県大村市出身。インバウンドを得意とする旅のコンテンツクリエーター。海外・東京などでの生活を経て、2018年の暮れに長崎にUターン。その後、長崎の歴史や文化を学び直し、その魅力にはまる。個人のSNSやフリーランストラベルライターとしても複数メディアで長崎の魅力を発信中。