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  • 東彼杵町二十六聖人乗船の地-1

    東彼杵町二十六聖人乗船の地

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    26聖人が殉教への道の途中、1597年2月4日の午後、佐賀の嬉野から、この彼杵に降り…

    26聖人が殉教への道の途中、1597年2月4日の午後、佐賀の嬉野から、この彼杵に降りて、厳寒の大村湾を舟で時津へと渡った。

  • 打折教会-1

    打折教会

    五島列島

    切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会

    三井楽半島と対する小さな集落・打折の信徒も、外海・神ノ浦からの移住者に始まり、「五島崩れ」で楠原の信徒とともに水ノ浦の牢屋に入れられ苦難に耐えなければなりませんでした。 禁...

  • 宮原教会-1

    宮原教会

    五島列島

    1885年(明治18年)ペルー師の在任後期の頃、教会として建築

    1797(寛政9)年以降、大村藩から五島へ移住した潜伏キリシタン達は奥浦地区では平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、観音平、半泊、間伏、そしてここ宮原にも住み着きました。 ...

  • 嵯峨島教会-1

    嵯峨島教会

    五島列島

    信徒が多く住む竹原集落に建てられた、ステンドグラスが美しい木造教会

    貝津(三井楽)の西方沖合い4kmの地点に浮かぶ、2つの火山から形成される嵯峨島は、かつて流刑地だったという島。 1797(寛政9)年以降、外海(大村藩)から迫害を避けて逃れ...

  • 五輪教会-1

    五輪教会

    五島列島

    久賀島の険しい山を背景に、小さな漁港に並ぶ新・旧の教会

    久賀島五輪地区にある国指定重要文化財「旧五輪教会堂」の横に隣接する五輪教会。 1881年に浜脇教会として建てられた聖堂(旧五輪教会堂)を1931年現在地に移築し、信仰の拠り...

  • 早岐教会-1

    早岐教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    民家での巡回ミサが建設へのキッカケになりました

    戦後、平戸・黒島・五島などから信徒が移住し、当初は佐世保の三浦町教会から司祭が巡回し、民家でミサをしていました。1964年に現在地に、初代教会を建立し、1985年、現教会が建...

  • 【黒島】マルマン神父の墓(カトリック共同墓地)-1

    【黒島】マルマン神父の墓(カトリック共同墓地)

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    黒島天主堂建設に尽力をつくしたマルマン神父が眠る地

    最初に下五島の担当として赴任したマルマン神父は、貧困の犠牲となる子どもの養育事業などに奮闘し、伊王島、奄美大島、琉球を経て、1897年、黒島に赴任した。初代の堂崎教会堂など各...

  • 野道共同墓地-1

    野道共同墓地

    長崎

    ド・ロ神父が造成した出津教会信徒の共同墓地

    ド・ロ神父は、1898年、共同墓地を作った。神父の墓は、最初、階段を登り上がった大十字架の下にあったが、現在は入口付近に移設している。

  • 時津二十六聖人上陸の地-1

    時津二十六聖人上陸の地

    長崎

    彼杵から大村湾を渡って時津に護送された二十六聖人は、厳寒の海で一晩過ごし、処刑地にむかった。

    1597年2月4日の午後、彼杵から大村湾を渡って時津に護送された二十六聖人は、厳寒の海で一晩過ごし、処刑地にむかった。港は埋め立てられているため、上陸地点は、碑があるところよ...

  • 首塚-1

    首塚

    諫早・大村

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された殉教者たちの首を胴体と離して埋めたと伝えられる場所。

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された131人の殉教者たちの首が、キリシタンの妖術で胴体とつながるのを恐れて、離して埋めたと伝えられる場所。キリシタンの復活に対する信仰から生じた話...

  • 雲仙キリシタン殉教道-1

    雲仙キリシタン殉教道

    島原・雲仙・南島原

    小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地点。雲仙地獄で過酷な拷問を受け…

    小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地点。雲仙地獄で過酷な拷問を受けるキリシタンが、ここを通っていったと記す説明板が建てられている。

  • 小干浦キリシタン殉教碑-1

    小干浦キリシタン殉教碑

    西海

    小干浦キリシタン殉教碑

     長崎市内で発見された殉教者の遺骨が碑の中に納められています。

  • 飽の浦教会-1

    飽の浦教会

    長崎

     

  • 福田教会-1

    福田教会

    長崎

     

  • 高島教会-1

    高島教会

    長崎

     

  • 聖コルベゆかりの暖炉-1

    聖コルベゆかりの暖炉

    長崎

    1930年、ポーランドから来日したコルベ神父が長崎で最初の拠点とした…

    1930年、ポーランドから来日したコルベ神父が長崎で最初の拠点とした大浦の洋館の赤煉瓦の暖炉。火事の時に焼け残り、現在、南山手町聖コルベ記念館に保存中。

  • 布津キリシタン墓碑群-1

    布津キリシタン墓碑群

    島原・雲仙・南島原

    宮本墓地(通称おんぼ墓)の一角に、半円頭寝棺型、扁平蓋石型、切妻蓋石型(庵型)、丸型と四種類の墓石が保存されているが、半円頭寝棺型3基のうちの1基には干十字紋の薬研彫りがあり...

  • 天神教会-1

    天神教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    旧海軍墓地の近くにある祈りの家

    黒島・五島・平戸から移住してきた信徒が、最初、買い受けた民家を移転して祈りの家とし、1974年、信徒の公会堂「祈りの家」を建て、1986年、現教会が建てられました。 当教会...

  • 烏帽子教会-1

    烏帽子教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    標高430メートルの高台の上に聳える小さな教会

    戦後の農地改革の一環で、座高430mの烏帽子岳の開拓地に、紐差の信徒が入植し、当時、日曜日は俵町教会まで徒歩で通ったといわれています。1956年に信徒の家の一室を仮聖堂とし、...

  • 大野教会-1

    大野教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    佐世保地区の聖書講座・結婚講座等の会場としても利用されています

    炭鉱の開発により、昭和初期の頃から信徒は少し移り住んでいました。戦後、平戸や長崎などから大野地区に信徒が移り住み、当初、俵町教会へ行っていたが、大野に教会をと願い、ようやく1...

  • 皆瀬教会-1

    皆瀬教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    教会は小さいですが、殉教者の血を隻け継いだ信徒は熱心で、信仰活動は活発です

    1952年から俵町教会を任されたスカボロ会によって教会が建てられました。現教会は2007年に新築されました。鳥が羽ばたくような姿にも見える教会は、「日本の聖母」に捧げられ、中...

  • 鹿子前教会-1

    鹿子前教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    眼前に九十九島を控える佐世保市のリゾート地帯に位置する教会

    現在の鹿子前町(鴛ノ浦)へ五島や平戸、黒島などから移住した信徒のために、1923年に平戸の紐差教会の古材を使って尾立山集会所ができ、谷郷町の教会から司祭が巡回しましたが、19...

  • 大崎教会-1

    大崎教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    殉教者の血を引く信徒の方々は長崎の伝統を守る信仰共同体を形成されています

    大崎には明治中頃より、黒島、平戸、五島などの信徒が移住し、大崎の教会には、1941年に相浦の信徒も教会が建つまできていたといわれています。現教会は1973年に建てられました。

  • 相浦教会-1

    相浦教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    黒島の定期便から見える教会

    相浦の信徒は、1906年頃の平戸や西彼杵郡大島からの移住者に始まります。1938年に信徒の家が仮教会となり、1941年、集会所の名目で教会が建ち、相浦教会ができました。戦後は...

  • 横浦教会-1

    横浦教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    西海国立公園に面した小さな教会

    戦後、神崎や浅子から入植した信徒たちは、当初は舟で教会に通い、1975年頃からは地区の公民館でミサを捧げていたが、1989年、ようやく入江に佇む教会が建てられた。2001年に...

  • 潜竜教会-1

    潜竜教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    信徒さんの多くは、元々炭鉱で働いていた方々で大半を占めます

    北松炭田の潜竜炭鉱は、1933年から本格的に始まり、終戦後の1952年から炭鉱住宅を仮聖堂として使用し、すぐに初代教会として献堂された。1967年に炭鉱は閉山となるが、200...

  • 日野江城跡-1

    日野江城跡

    島原・雲仙・南島原

    一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。

    一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。大手門付近などに石垣が残る。近年の発掘で、キリシタンとなった有馬義貞・晴信の時代の状況をかたる仏式の墓石等も利用して作った階...

  • 胴塚-1

    胴塚

    諫早・大村

    郡崩れの131人の殉教者の胴体を埋めたと伝えられる場所。

    郡崩れの131人の殉教者の胴体を埋めたと伝えられる場所。

  • 川棚教会-1

    川棚教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    川棚の百津郷一帯は、戦時中、魚雷をつくっていた海軍工廠があった。戦後、長崎教区は、工場の建物の払い下げを受けて、1950年、オーストラリア人フリン神父によって教会ははじまった。現教会堂は、1966年に建てられた。

    川棚の百津郷一帯は、戦時中、魚雷をつくっていた海軍工廠があった。戦後、長崎教区は、工場の建物の払い下げを受けて、1950年、オーストラリア人フリン神父によって教会ははじまった...

  • 崎津教会-1

    崎津教会

    島原・雲仙・南島原

    キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきている。1928年から主任…

    キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきている。1928年から主任司祭となったハルブ神父が庄屋屋敷跡を買い取り、1934年に現教会を鉄川与助の設計・施工で建...

  • 間瀬教会-1

    間瀬教会

    西海

    大島の西側にある太田尾教会の巡回教会で、1957年、大島の炭鉱で働くカトリック信徒のために建てられた、長崎県内で唯一残る畳敷きの教会。

    大島の西側にある太田尾教会の巡回教会で、1957年、大島の炭鉱で働くカトリック信徒のために建てられた、長崎県内で唯一残る畳敷きの教会。

  • 大瀬戸教会-1

    大瀬戸教会

    西海

     

  • さくらの里聖家族教会-1
  • 滑石教会-1

    滑石教会

    長崎

     

  • 城山教会-1

    城山教会

    長崎

     

  • 小ヶ倉教会-1

    小ヶ倉教会

    長崎

     

  • 壱部教会-1

    壱部教会

    平戸・松浦

    壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。

    壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。

  • 古江教会-1

    古江教会

    平戸・松浦

    古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。

    古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。

  • 福崎教会-1

    福崎教会

    平戸・松浦

    福崎の信徒により保育園開設の要望がでて、コロンバン会のフォード神父によって、1954年に教会として併用を考えた施設が建てられ、1973年に保育事業が閉鎖後は、教会として使用され、1985年に現教会ができる。

    福崎の信徒により保育園開設の要望がでて、コロンバン会のフォード神父によって、1954年に教会として併用を考えた施設が建てられ、1973年に保育事業が閉鎖後は、教会として使用さ...

  • 沖田畷古戦場跡-1

    沖田畷古戦場跡

    島原・雲仙・南島原

    1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍…

    1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍と戦い、隆信が討ち死にした場所。

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