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教会めぐり

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  • 中町教会-1

    中町教会

    長崎

    初代教会は、江戸時代から明治にかけてキリシタンが入れられた桜町牢跡での建設。

    島内要助神父は、殉教の歴史をもつこの地に、日本人のための教会を建てようと志し、苦労の末に1889年の暮、キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて教会設...

  • 【黒島】黒島の集落-1

    【黒島】黒島の集落

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    平戸島の南東、佐世保港沖に位置する黒島

    禁教期に外海などから移住した潜伏キリシタンが、仏教寺院から信仰はを黙認されつつ、自分たち自身で組織的に信仰を続けた。 解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼が行われた...

  • 島原教会-1

    島原教会

    島原・雲仙・南島原

    島原の乱後、キリシタンが根絶したとされる島原半島では、1902年から…

    島原の乱後、キリシタンが根絶したとされる島原半島では、1902年からようやく再宣教が始まった。1932年に島原二の丸教会を建立し、1997年に現在のドームの教会が建てられる。...

  • 野崎島の集落跡-1

    野崎島の集落跡

    五島列島

    小値賀港より定期船で約35分に位置する野崎島

    禁教期に移住した潜伏キリシタンが、表向き海上交通の守り神である沖ノ神嶋神社の氏子を装うことで在来宗教と並存しながら自分たち自身で組織的に信仰を続けた。 解禁後はカト...

  • 仲知教会-1

    仲知教会

    五島列島

    ステンドグラスの模様が美しい教会

    1882年に江袋に聖堂が設立され主任教会となっていたが、1932年ごろ主任座が仲知に移された。現在ある聖堂は、1978年に建立。この地域に住む大部分がカトリック信者で、信者達...

  • 【小値賀】旧野首教会-1

    【小値賀】旧野首教会

    五島列島

    たった17戸の「祈りの力」が生んだ 後世に残したい未来遺産

    1908(明治41)年、教会建築の名工、鉄川与助によって設計・施工されたものとしては初のレンガ造りの教会。 教会建築が木からレンガに変わる時期の建築で、創建当時の原形が保たれ...

  • 長崎市ド・ロ神父記念館-1

    長崎市ド・ロ神父記念館

    長崎

    ド・ロ神父が貧しい人々の救済のために1885(明治18)年に建て、鰯網工場や学校…

    ド・ロ神父の遺徳をしのび、その偉業を今に伝えるために1968年に開館した記念館です。 1879年、外海(そとめ)地区の主任司祭として赴任してきた、フランス人宣教師マルコ・マ...

  • 江袋教会-1

    江袋教会

    五島列島

    2007年に火災にあうが、大正末期の姿に復元された教会

    江袋の信徒は、禁教令の高札が撤去された1873年に激しい迫害を受けたが、1882年にはブレル神父の指導と援助で教会を建てた。 2007年に焼損するまで、五島で最古のこうもり天...

  • 三井楽教会-1

    三井楽教会

    五島列島

    五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地「三井楽」にある、ステンドグラスの美しい教会

    1797年大村藩の迫害から逃れてきた隠れキリシタンは、この地でひっそりと信仰を続けました。ゴシック様式の木造教会が完成したのは1880年。そして1971年に老朽化・白蟻被害の...

  • 本河内ルルド-1

    本河内ルルド

    長崎

    カトリック信者の巡礼地

    カトリック信者の巡礼地と知られる南フランスの町、ルルド。本場のルルドは地名ですが、日本では “奇跡の泉”や巡礼地の意を込めた固有名詞として使用されてい...

  • 善長谷教会-1

    善長谷教会

    長崎

    1823年に外海・東樫山から移住したキリシタンの子孫が住む山里…

    善長谷は1823年に外海・東樫山から移住したキリシタンの子孫が住む山里。1883年には1家族を残してカトリックとなり、1885年に教会ができた。

  • 渕ノ元カトリック墓碑群-1

    渕ノ元カトリック墓碑群

    五島列島

    東シナ海に面した草原の一角に十字架の墓標やマリア様の像が立ち並ぶカトリック墓地

    寛政年間の五島藩政策による開拓農民の移住よりも早く1776年7月27日、三井楽村淵の元に、外海の農民14家族78人が居着きを願いでて移住してきています。 マリア様や墓標を背...

  • 大浦教会-1

    大浦教会

    長崎

     

  • 井持浦教会とルルド-1

    井持浦教会とルルド

    五島列島

    五島の信徒に呼びかけ、島内の石を集め作られた日本初のルルド

    かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区です。 1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会とな...

  • 天草の﨑津集落-1

    天草の﨑津集落

    島原・雲仙・南島原

    天草諸島の下島の南部に位置する漁村

    禁教期に潜伏キリシタンが組織的に信仰を続ける中で、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育み、在来宗教と信仰空間を共有した集落であ...

  • 大山教会-1

    大山教会

    長崎

    大山は、外海の黒崎村のキリシタンが、1844~1847年の頃、移住開拓したという地。大浦での信徒発見後、大山の信徒も信仰を表明し、明治のキリシタン迫害で、佐賀の牢へ4名が送られた。迫害が終わって1880年頃建立の初代教会堂に捧げられた「絶えざる御助けの聖母」の絵が、4代目の現在も掲げられる。熊ヶ峰へ向かう途中の竹林を抜けると集落がある。

    大山は、外海の黒崎村のキリシタンが、1844~1847年の頃、移住開拓したという地。大浦での信徒発見後、大山の信徒も信仰を表明し、明治のキリシタン迫害で、佐賀の牢へ4名が送ら...

  • 焼罪公園(カミロ・コンスタンツォ神父殉教碑)-1

    焼罪公園(カミロ・コンスタンツォ神父殉教碑)

    平戸・松浦

    殉教地から平戸瀬戸をはさんで対岸に平戸城と平戸ザビエル記念教会堂が見える。

    カミロ神父は禁教令でマカオへ追放され、1621(元和7)年に日本に再潜入。佐賀の不動山や唐津で活動し、翌年、平戸領内で捕えられ、田平で火刑となった宣教師。殉教地から平戸瀬戸を...

  • 枯松神社-1

    枯松神社

    長崎

    外国人宣教師を祀る国内に3ヶ所しかないキリシタン神社

    黒崎教会の南側の丘にある、キリスト教の日本人伝道師バスチャンの師、サン・ジワン神父を祀った国内に3ヶ所しかないキリシタン神社。「かくれキリシタンの聖地」とされ「枯松さん」と呼...

  • 雲仙地獄殉教地の碑-1

    雲仙地獄殉教地の碑

    島原・雲仙・南島原

    雲仙の焦熱地獄で、拷問と処刑がおこなわれた記録がある。

    1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録がある。有馬晴信の家臣・パウロ内堀ら16人が最...

  • 放虎原殉教地-1

    放虎原殉教地

    諫早・大村

    郡崩れによりキリシタンが処刑された場所

    大村の処刑場跡。明暦3年(1657年)、603人の潜伏キリシタンが発覚した事件「郡崩れ」に関係する場所。 郡崩れのキリシタンのうち131人が万治元年(1658)に殉教した...

  • 愛野教会-1

    愛野教会

    島原・雲仙・南島原

    愛野教会は、1951年、スカボロ会(中町教会再建を援助したフレーザー神父が設立)によって創設され、1970年から諫早教会の巡回となるが、1974年からサレジオ会に任され、今日に至る。1590年のフロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、現教会がある一帯を指すらしい。

    愛野教会は、1951年、スカボロ会(中町教会再建を援助したフレーザー神父が設立)によって創設され、1970年から諫早教会の巡回となるが、1974年からサレジオ会に任され、今日...

  • 丸尾教会-1

    丸尾教会

    五島列島

    鉄川与助の生誕地に建つ白亜の教会

    1899年頃まで『家御堂』と呼ばれる信徒集会所があり、礼拝堂を兼ねていた。 約20戸の信徒の司牧にあたっていたが、青砂ヶ浦教会主任大崎八重神父の時、丸尾の丘の上に白亜の教会が...

  • 福見教会-1

    福見教会

    五島列島

    レンガ造りの教会堂としては珍しい日本的な格組折上天井をもつ。

    1799年、外海の黒崎からの移住者にはじまる教会とされ、五島崩れでは、迫害を受ける前に福見を離れた。迫害の時代が終わり、以前住んでいた土地に戻って来た時には、土地や家は荒れ果...

  • 俵町教会-1

    俵町教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    マリア様が子供たちの成長を優しく見守ります

    俵町教会は、1938年に建てられた松山町教会に始まりました。平日は保育所として、日曜は祭壇の前のカーテンを開けて、ミサが行われる広間がありました。地滑りの危険が生じ、1951...

  • 神崎教会-1

    神崎教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    小佐々町の歴史の一端が垣間見えるシンボル的教会

    1840年前後の五島からの移住が神崎教会の始まり。1930年に、尖塔をもつゴシック様式の教会が海辺に建てられていた。老朽化に伴い、2004年に現在地に建てられる。教会から西に...

  • 中浦ジュリアン記念公園-1

    中浦ジュリアン記念公園

    西海

    ローマを指さすジュリアン少年像が立つ

    天正遣欧使節の副使・中浦ジュリアンは、ヨーロッパの記録で中浦の領主(大村氏の家臣・小佐々氏の一族)の子であり、「館」とよばれた所が生誕地とされる。現在、記念公園がある。西坂で...

  • 岬の教会(サン・パウロ教会)跡/被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)跡-1

    岬の教会(サン・パウロ教会)跡/被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)跡

    長崎

    かつての日本のキリスト教の拠点

    長崎が開港された翌年の1571年、イエズス会宣教師のフィゲイレド(ポルトガル)は、町ができた岬の突端に「岬の教会(サン・パウロ教会)」を建てた。   さ...

  • 旧出津救助院-1

    旧出津救助院

    長崎

    ド・ロ神父が困窮を極める村人達を救うため、私財を投じて設立した明治初期の授産・福祉施設

    1879年外海地方に赴任したフランス人宣教師、ド・ロ神父が女性の自立支援のための作業場として1883年に設立した施設です。ここでは織物や縫物、食品加工などの技術を教え、人々の...

  • 春徳寺(トードス・オス・サントス跡)-1

    春徳寺(トードス・オス・サントス跡)

    長崎

    長崎で最初に建てられた教会堂跡

    「トードス・オス・サントス教会」は長崎で最初に建てられた教会堂。 大村純忠の家臣でキリシタン・長崎甚左衛門がイエズス会のアルメイダに与えた土地に、1569年ビレラ神父により...

  • 太田尾教会-1

    太田尾教会

    西海

    1929年に信者たちの手によって海を見晴らす斜面に建てられたゴシック様式の教会

    大島の新田開発で、外海神ノ浦から1820年に移住してきているという。1883年、外海の黒崎村の奉公先でカトリック信徒になった大田尾の女性が島に戻って信仰を続け、明治の中頃、上...

  • 首塚-1

    首塚

    島原・雲仙・南島原

    島原の乱後、信徒1万の首を3分しここに3333の首を埋めた塚

    原城落城の後幕府は住徒の首を3分して長崎の西坂と天草の富岡とここ愛野町の愛津の3ヶ所に埋めた塚と言われる。現在小丘の塚が残っている。

  • 聖フィリッポ・デ・ヘスス教会-1

    聖フィリッポ・デ・ヘスス教会

    長崎

    26聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに…

    二十六聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。 メキシコから送られた浄財によって、浦上街道を挟んで西坂公園と反対側に建築家・今...

  • サン・ラザロ病院跡(山王神社)-1

    サン・ラザロ病院跡(山王神社)

    長崎

    もうひとつのサン・ラザロ病院

    長崎駅近くの本蓮寺にあったサン・ラザロ病院と別に、浦上村のイエズス会経営のハンセン病を扱うサン・ラザロ病院がありました。26聖人は刑場へ向かう途中でここの付属教会に立寄って、...

  • 大江教会-1

    大江教会

    島原・雲仙・南島原

    1873年に禁教の高札が撤去されてから、長崎・神ノ島の信徒西政吉が…

    1873年に禁教の高札が撤去されてから、長崎・神ノ島の信徒西政吉が、大江村に入って潜伏していたキリシタンを発見し、カトリックに復活させたのがはじまりという教会。教会は、193...

  • 西木場教会-1

    西木場教会

    平戸・松浦

    西木場は、明治中期、田平を目指して黒島や五島などからきた信徒が、落ち着いた地。田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造して教会とした。1949年、聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念事業として現教会が、鉄川組の設計で建てられた。

    西木場は、明治中期、田平を目指して黒島や五島などからきた信徒が、落ち着いた地。田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造して教会とした。1949年、聖フランシスコ・ザビエル...

  • 本渡殉教公園(本戸城跡)-1

    本渡殉教公園(本戸城跡)

    島原・雲仙・南島原

    キリシタン天草種元が1589年の天草五党の乱で小西行長・加藤清正軍に…

    キリシタン天草種元が1589年の天草五党の乱で小西行長・加藤清正軍に囲まれ、領民とたてこもって滅びた居城跡。天草・島原の乱の戦死者の慰霊の塚でもある。キリシタン墓碑が集められ...

  • 楠原教会-1

    楠原教会

    五島列島

    リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会

    楠原地区は、1797年の五島藩要請で、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが移住し、開墾した地域です。 仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始ま...

  • 冷水教会-1

    冷水教会

    五島列島

    鉄川与助が棟梁となって初めて設計施工を行った教会

    冷水では五島崩れで迫害を受けた信徒は、逃れて戻ることはなかったらしい。今の冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々であるという。1907年に...

  • 米山教会-1

    米山教会

    五島列島

    新上五島町の最北端にある教会

    1903年に聖堂を創建した後、老朽が激しく現在の聖堂を1977年に建立。 他の五島の信徒と同様に、大村藩外海地区から移住したキリシタン達が信仰を深めた。 

  • 浜串教会-1

    浜串教会

    五島列島

    白壁の教会

    外海地区から安住の地を求めて海を渡った信者が当地に隠れ住んだ。 1899年、鯨捕獲の利益金を持って初代の教会を建立、その後老朽化したことから、1966年、海の近くに敷地を求め...

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