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206件ありました
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大崎教会
殉教者の血を引く信徒の方々は長崎の伝統を守る信仰共同体を形成されています
佐世保・東彼杵・ハウステンボス
山野教会
隠れ里に佇む小聖堂
平戸・松浦
雲仙キリシタン殉教道
小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地点。雲仙地獄で過酷な拷問を受け…
島原・雲仙・南島原
間瀬教会
大島の西側にある太田尾教会の巡回教会で、1957年、大島の炭鉱で働くカトリック信徒のために建てられた、長崎県内で唯一残る畳敷きの教会。
西海
長与教会
長崎
古江教会
古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。
平戸・松浦
壱岐教会
教会史料にYuquinoxima(ユキノシマ)と記される平戸領の壱岐島でも殉教があり・・・
壱岐
高島教会
長崎
聖コルベゆかりの暖炉
1930年、ポーランドから来日したコルベ神父が長崎で最初の拠点とした…
長崎
天草・島原の乱激戦地(祇園橋)
1637(寛永14)年、島原での合戦の後、天草四郎率いる一揆軍と富岡城番代…
島原・雲仙・南島原
沖田畷古戦場跡
1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍…
島原・雲仙・南島原
ペドロ・バプチスタ神父渡来記念碑
バプチスタ神父はフィリピン総督の使節として1593年頃、平戸に渡来した。名護屋で…
平戸・松浦
布津キリシタン墓碑群
島原・雲仙・南島原
奈留教会
奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会
五島列島
打折教会
切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会
五島列島
宮原教会
1885年(明治18年)ペリュー師の在任後期の頃、教会として建築
五島列島
半泊教会
アイルランドの守護聖人に捧げられた小さな教会
五島列島
船隠教会
幾多の自然災害を乗り越え完成した教会
五島列島
高井旅教会
美しい高井旅海水浴場を見下ろす教会
五島列島
佐野原教会
上五島では珍しい海に面しない山中の集落に建つ教会。
五島列島
大村純忠終焉の地(坂口館跡)
日本初のキリシタン大名大村純忠が隠居し、1587年、55歳で亡くなった地。
五島列島
諫早・大村
大野教会
佐世保地区の聖書講座・結婚講座等の会場としても利用されています
佐世保・東彼杵・ハウステンボス
皆瀬教会
教会は小さいですが、殉教者の血を隻け継いだ信徒は熱心で、信仰活動は活発です
佐世保・東彼杵・ハウステンボス
本原教会
長崎
時津二十六聖人上陸の地
彼杵から大村湾を渡って時津に護送された二十六聖人は、厳寒の海で一晩過ごし、処刑地にむかった。
長崎
サンタ・クララ教会堂跡
1603年にポルトガル船員らが建てた聖クララ教会堂の跡。
長崎
秘密教会堂 聖フランシスコ・ザベリオ堂跡
大浦天主堂の巡回教会として4つの秘密教会の1つ
長崎
有馬川殉教地
棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族の殉教地。
島原・雲仙・南島原
胴塚
郡崩れの131人の殉教者の胴体を埋めたと伝えられる場所。
諫早・大村
鈴田牢跡
1617(元和3)年から5年間、宣教師たちが収容された牢屋跡。
諫早・大村
香焼教会
長崎
小干浦キリシタン殉教碑
小干浦キリシタン殉教碑
西海
小長井教会
佐賀県との境界に、1953年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会小長井修道院が設立され、大村から養護施設「聖母の騎士園」が移設される。教会は施設の職員を対象に建てられている。
諫早・大村
滑石教会
長崎
福田教会
長崎
壱部教会
壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。
平戸・松浦
大佐志教会
平戸島の南西の佐志岳の麓にある大佐志は、五島や黒島から移住してきた人々の子孫が住む集落。1886年頃からマトラ神父の指導を受け、1911年、最初の教会が建てられた。信徒の増加により、増改築がおこなわれ、1944年、1kmほど移動して国道に近い現在地に新教会が建てられた。
平戸・松浦
福崎教会
福崎の信徒により保育園開設の要望がでて、コロンバン会のフォード神父によって、1954年に教会として併用を考えた施設が建てられ、1973年に保育事業が閉鎖後は、教会として使用され、1985年に現教会ができる。
平戸・松浦
御厨教会
北松炭田に働く信徒のために、田平教会の巡回教会として最初の教会は建つ。1958年、カムストラ神父と35戸の信徒によって、現教会が建立される。
平戸・松浦
愛野教会
愛野教会は、1951年、スカボロ会(中町教会再建を援助したフレーザー神父が設立)によって創設され、1970年から諫早教会の巡回となるが、1974年からサレジオ会に任され、今日に至る。1590年のフロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、現教会がある一帯を指すらしい。
島原・雲仙・南島原