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教会めぐり

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  • 半泊教会-1

    半泊教会

    五島列島

    アイルランドの守護聖人に捧げられた小さな教会

    半泊地区は、キリシタン弾圧から逃れるために外海から来た移住者が、半分は別の地に移住し、半分がこの地に留まったという説があります。 1922(大正11)年に、アイルランドから...

  • 有福教会-1

    有福教会

    五島列島

    町内で最も西に位置する有福島に建ち、木造で小さいながらも重層屋根をも持つ教会。

    1817~1829年頃に、大村藩の神ノ浦からカトリック信徒が移住し、弾圧を逃れながら信仰を続けていた。 有福島には、四つの潜伏キリシタンの集落があったが、明治以降は伝道師らの...

  • 本原教会-1

    本原教会

    長崎

    三ツ山町の六枚板は、平戸松浦家の重臣パウロ原田善左衛門が、家族とともにキリシタンを排斥する平戸の領主のもとを去って移り住み、信仰を広めていたと伝える地。やがて、大村藩に捕えら...

  • サンタ・クララ教会堂跡-1

    サンタ・クララ教会堂跡

    長崎

    1603年にポルトガル船員らが建てた聖クララ教会堂の跡。

    1603年にポルトガル船員らが建てた教会堂の跡です。この教会を守っていた孫右衛門という人物が宣教師がいなくなった後、潜伏しながら信仰を続けるための帳方や水方をおいた共同体を作...

  • 秘密教会堂 聖フランシスコ・ザベリオ堂跡-1

    秘密教会堂 聖フランシスコ・ザベリオ堂跡

    長崎

    大浦天主堂の巡回教会として4つの秘密教会の1つ

    1614年、徳川家康の禁教令発布から250年後の1865年3月17日大浦天主堂における劇的な信徒発見当時も幕府の厳しいキリシタン禁令は続いていました。 浦上のキリシタン達は...

  • 上神崎教会-1

    上神崎教会

    平戸・松浦

    一帯は売却された旧松浦藩放牧地だったという。黒島や五島から移住して、次第に…

    一帯は売却された旧松浦藩放牧地だったという。黒島や五島から移住して、次第に信者の大集落ができ、1891年、現在の田平や紐差の教会ができるまで北松浦地区随一の教会が建った。敷地...

  • さくらの里聖家族教会-1
  • 木鉢教会-1

    木鉢教会

    長崎

     

  • 小ヶ倉教会-1

    小ヶ倉教会

    長崎

     

  • 壱部教会-1

    壱部教会

    平戸・松浦

    壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。

    壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。

  • 深堀教会-1

    深堀教会

    長崎

    戦国時代から、たびたび長崎のキリシタンを脅かした深堀氏は、商船の略奪など海賊行為のために豊臣秀吉に所領を没収されて長崎代官の鍋島の支配下におかれ、江戸時代は佐賀藩家老の深堀鍋島家として陣屋を構えた。その陣屋跡の一部を伊王島の教会の主任だった渋谷神父が私財を投じて購入し、深堀教会や幼稚園を創設した。

    戦国時代から、たびたび長崎のキリシタンを脅かした深堀氏は、商船の略奪など海賊行為のために豊臣秀吉に所領を没収されて長崎代官の鍋島の支配下におかれ、江戸時代は佐賀藩家老の深堀鍋...

  • 高島教会-1

    高島教会

    長崎

     

  • 沖田畷古戦場跡-1

    沖田畷古戦場跡

    島原・雲仙・南島原

    1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍…

    1584(天正12)年、キリシタンの脅威とされた佐賀の竜造寺隆信が有馬・島津連合軍と戦い、隆信が討ち死にした場所。

  • 天草コレジヨ館-1

    天草コレジヨ館

    島原・雲仙・南島原

    天草の河浦にコレジヨが移ってきて1591年、島原の加津佐から天正遣欧使節が持ち…

    天草の河浦にコレジヨが移ってきて1591年、島原の加津佐から天正遣欧使節が持ち帰った日本初のグーテンベルク式金属活字印刷機が運びこまれ、天草本と呼ばれた布教用の印刷物が作られ...

  • (c) 2019 Goto City

    浦頭教会

    五島列島

    ノアの箱舟をイメージした、白亜のモダンな姿が里山に映える教会

    1797(寛政9)年大村藩から五島への移住が始まり、約3年の間に3000人が移り住みました。その中から奥浦地区に住み付いた潜伏キリシタンは、平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨...

  • 小瀬良教会-1

    小瀬良教会

    五島列島

    斜面に民家が点在する集落に建つ小さな教会

    山城を思わせるような石垣の上に建つ教会。 教会内部は折り上げ式の天井で、小規模な教会でありながらも、入口上には楽廊がある。 

  • 大崎教会-1

    大崎教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    殉教者の血を引く信徒の方々は長崎の伝統を守る信仰共同体を形成されています

    大崎には明治中頃より、黒島、平戸、五島などの信徒が移住し、大崎の教会には、1941年に相浦の信徒も教会が建つまできていたといわれています。現教会は1973年に建てられました。

  • 横浦教会-1

    横浦教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    西海国立公園に面した小さな教会

    戦後、神崎や浅子から入植した信徒たちは、当初は舟で教会に通い、1975年頃からは地区の公民館でミサを捧げていたが、1989年、ようやく入江に佇む教会が建てられた。2001年に...

  • 潜竜教会-1

    潜竜教会

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    信徒さんの多くは、元々炭鉱で働いていた方々で大半を占めます

    北松炭田の潜竜炭鉱は、1933年から本格的に始まり、終戦後の1952年から炭鉱住宅を仮聖堂として使用し、すぐに初代教会として献堂された。1967年に炭鉱は閉山となるが、200...

  • 【黒島】マルマン神父の墓(カトリック共同墓地)-1

    【黒島】マルマン神父の墓(カトリック共同墓地)

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    黒島天主堂建設に尽力をつくしたマルマン神父が眠る地

    最初に下五島の担当として赴任したマルマン神父は、貧困の犠牲となる子どもの養育事業などに奮闘し、伊王島、奄美大島、琉球を経て、1897年、黒島に赴任した。初代の堂崎教会堂など各...

  • 大明寺教会-1

    大明寺教会

    長崎

    1879年頃、大浦天主堂を建てた伊王島の大工・大渡伊勢吉がブレル神父の指導によって教会が建てられ、老朽化で1973年に現教会ができる。

    伊王島町は、伊王島と沖之島の2つからなる。いつ頃から島にキリシタンが住むようになったかは不明だが、島原の乱後、1642年から長崎警備を任された佐賀鍋島藩が2つの島に作った遠見...

  • 首塚-1

    首塚

    諫早・大村

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された殉教者たちの首を胴体と離して埋めたと伝えられる場所。

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された131人の殉教者たちの首が、キリシタンの妖術で胴体とつながるのを恐れて、離して埋めたと伝えられる場所。キリシタンの復活に対する信仰から生じた話...

  • 小干浦キリシタン殉教碑-1

    小干浦キリシタン殉教碑

    西海

    小干浦キリシタン殉教碑

     長崎市内で発見された殉教者の遺骨が碑の中に納められています。

  • 小長井教会-1

    小長井教会

    諫早・大村

    佐賀県との境界に、1953年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会小長井修道院が設立され、大村から養護施設「聖母の騎士園」が移設される。教会は施設の職員を対象に建てられている。

    佐賀県との境界に、1953年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会小長井修道院が設立され、大村から養護施設「聖母の騎士園」が移設される。教会は施設の職員を対象に建てられている。

  • 水主町教会-1

    水主町教会

    諫早・大村

    1958年に植松小教区から独立した、大村の町の中心部にある教会。1983年に現教会が建つ。教会の守護聖人は、1634年に西坂で殉職し、1987年に列福された聖トマス西と15殉教者の1人で大村出身の聖マリナ。

    1958年に植松小教区から独立した、大村の町の中心部にある教会。1983年に現教会が建つ。教会の守護聖人は、1634年に西坂で殉職し、1987年に列福された聖トマス西と15殉...

  • 湯江教会-1

    湯江教会

    諫早・大村

    1960年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会が、養護老人ホームの施設をつくり、同年、湯江修道院を建立し、1971年、修道院と教会が独立した建物となる。

    1960年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会が、養護老人ホームの施設をつくり、同年、湯江修道院を建立し、1971年、修道院と教会が独立した建物となる。

  • 長与教会-1

    長与教会

    長崎

     

  • 大瀬戸教会-1

    大瀬戸教会

    西海

     

  • 城山教会-1

    城山教会

    長崎

     

  • 大佐志教会-1

    大佐志教会

    平戸・松浦

    平戸島の南西の佐志岳の麓にある大佐志は、五島や黒島から移住してきた人々の子孫が住む集落。1886年頃からマトラ神父の指導を受け、1911年、最初の教会が建てられた。信徒の増加により、増改築がおこなわれ、1944年、1kmほど移動して国道に近い現在地に新教会が建てられた。

    平戸島の南西の佐志岳の麓にある大佐志は、五島や黒島から移住してきた人々の子孫が住む集落。1886年頃からマトラ神父の指導を受け、1911年、最初の教会が建てられた。信徒の増加...

  • 古江教会-1

    古江教会

    平戸・松浦

    古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。

    古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。

  • 平戸口教会-1

    平戸口教会

    平戸・松浦

    ひっそりとたつ小さな教会。

    平戸口には、明治中期から黒島、五島・外海・平戸などより信徒が移住。 田平教会の初代主任司祭・中田藤吉神父が、社会福祉のために建てた平戸口社会館の2階を1947年隠居所としたと...

  • 正覚寺(南蛮寺跡)-1

    正覚寺(南蛮寺跡)

    島原・雲仙・南島原

    1589年、天草五党の乱で小西行長に負けた上津浦氏は、行長のすすめで…

    1589年、天草五党の乱で小西行長に負けた上津浦氏は、行長のすすめで洗礼を受け、南蛮寺(教会堂)を建てた。天草の乱後、初代天草代官鈴木重成の要請できた珪法禅師が、跡をそのまま...

  • 口ノ津・南蛮船来航の碑-1

    口ノ津・南蛮船来航の碑

    島原・雲仙・南島原

    有馬義貞は弟の大村純忠が1562年に横瀬浦を開港したとき口之津を開港し…

    有馬義貞は弟の大村純忠が1562年に横瀬浦を開港したとき口之津を開港した。1582年まで7隻のポルトガル貿易船が入港した。宣教の拠点となった口之津には、イエズス会の巡察使ヴァ...

  • 東彼杵町二十六聖人乗船の地-1

    東彼杵町二十六聖人乗船の地

    佐世保・東彼杵・ハウステンボス

    26聖人が殉教への道の途中、1597年2月4日の午後、佐賀の嬉野から、この彼杵に降り…

    26聖人が殉教への道の途中、1597年2月4日の午後、佐賀の嬉野から、この彼杵に降りて、厳寒の大村湾を舟で時津へと渡った。

  • 布津キリシタン墓碑群-1

    布津キリシタン墓碑群

    島原・雲仙・南島原

    宮本墓地(通称おんぼ墓)の一角に、半円頭寝棺型、扁平蓋石型、切妻蓋石型(庵型)、丸型と四種類の墓石が保存されているが、半円頭寝棺型3基のうちの1基には干十字紋の薬研彫りがあり...

  • 奈留教会-1

    奈留教会

    五島列島

    奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会

    江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五...

  • 浜脇教会-1

    浜脇教会

    五島列島

    高くそびえる鐘塔が特徴的な、五島初の鉄筋コンクリート教会

    田ノ浦瀬戸を通ると、洋上から目に飛び込む三角の鐘塔が特徴の教会。 最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年に建立されました。 木造の教会...

  • 貝津教会-1

    貝津教会

    五島列島

    色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会

    かつて、外海地区から頓泊などに入り、さらに竹山に移住した信徒の子孫が、1924(大正13)年に現在の木造教会を建立しました。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白...

  • 打折教会-1

    打折教会

    五島列島

    切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会

    三井楽半島と対する小さな集落・打折の信徒も、外海・神ノ浦からの移住者に始まり、「五島崩れ」で楠原の信徒とともに水ノ浦の牢屋に入れられ苦難に耐えなければなりませんでした。 禁...

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