日本で最後に造られた城「福江城」三方を海に囲まれた領海警備の要|長崎の島と城跡を巡る旅【五島編】
長崎、島の城巡り
五島
五島市福江島。五島列島のなかでも最大の面積と人口を誇る島で、江戸時代初期から五島氏が治める所領の中心地として栄えてきた。そんな五島氏が居住した城の跡が、福江島の中心地・福江地区に残っている。
これまで見てきた山城とは異なり、外堀がありお膝元には城下町が広がっている海城だ。福江城、またの名を石田城ともいう。城郭は無くなったものの現在も城跡は市街地の中心として地域の人々に親しまれている存在だ。
そんな福江城が“日本最後に造られた城”と聞き、城跡に建つ「五島観光歴史資料館」を訪れた。
本特集は、「月刊九州王国」2026年8月号巻頭特集に掲載した内容を掲載元の承諾を得て編集したものです。
福江城
日本で最後に造られた城
海城が守る海の平和
立派な天守閣を模した建物が石垣と外堀で囲われた城跡に建っている。
-
.天守閣を模した五島観光歴史資料館。古代の五島の暮らしや遣唐使、キリシタン文化、伝統芸能など、五島の歴史文化について詳しく展示している .
「よく観光客の方に『この建物が福江城ですか?』と聞かれることがありますが、違います(笑)。この建物は五島観光歴史資料館として平成元年に開館した施設で、城郭内の二の丸があった場所に建てられています。実際にはこうした高くそびえる天守閣が造られていたわけではなく、平屋造りの城郭がありました。城郭内には現在、長崎県立五島高等学校や福江文化会館があり、地域の人たちの暮らしに溶け込んでいます」
と紹介してくれたのは、五島観光歴史資料館の木口貴行さん。今回は、五島市の文化観光課から学芸員・出口健太郎さんも案内役として顔をそろえてくれた。
話を聞いた人
左:五島市文化観光課 学芸員・出口 健太郎さん
右:五島観光歴史資料館 木口 貴行さん
まず、福江城が「日本最後に造られた城」というのは本当だろうか?
出口さんが、「厳密には…」と前置きをしながら答えてくれる。
「江戸時代に造られた城、という意味では日本で最後の城です。福江城が造られる前は、徒歩15分ほど離れた場所に江川城という城が造られていましたが、1614(慶長19)年に焼失。それ以来、現在の福江城跡がある『石田浜(いしだのはま)』と呼ばれていた場所に陣屋が造られましたが、新たな城の建設は江戸幕府に認められませんでした」。
江戸幕府が大坂の陣を終えて豊臣家を滅亡させ、全国の大名たちに「一国一城令」を発令したのが1615(元和元)年。外様大名の多い西日本の大名たちの軍事力を削いで権力を盤石のものにしたい江戸幕府にとって、火災での焼失とはいえ新しい城の建設を認めたくなかったのかもしれない。そこから200年、五島氏は三代にわたって幕府に築城許可を嘆願し続けるが、実現に至らずに江戸時代のほとんどを陣屋に居住して暮らすことになる。
「長い間築城はできませんでしたが、陣屋は何度も増改築をして城とあまり変わらない広さがあったので、居住空間としても行政機関としても不足はなかったと思いますよ。石垣や堀は築城より前から構築されていたもので、三方を海に囲まれた海城であることも陣屋時代と変わりありません」と木口さん。風向きが変わってきたのは、幕末に至ってからのことだった。
-
.外濠は海に繋がっているため、干満の差により水位が著しく変化する.
200年待ち続けた福江城の城郭。しかし陣屋時代からどうして周囲を海に囲まれた海城にする必要があったのだろうか?その理由がわかる場所が残っていると、出口さんたちが五島観光歴史資料館の外濠へと案内してくれた。表門までの間、二の丸にある水門跡だ。
「現在は海を一部埋め立てていますが、この本丸内に造られている水門(舟入)跡は、海に何か異変があればすぐに船を出すための設備です。潮の干満差で水位が変動するため、水門で調節されていたんですよ」と出口さん。異国船方という役職は、現代でいう海上保安庁のような領海警備の要。異国船を確認してから悠長に港まで出向いて行くのは非効率的だ。
「ようやく築城の夢が叶いましたが、それからすぐに江戸時代は終わりを告げ、完成からわずか9年で明治新政府により解体されてしまいます。城郭は失われても、石垣や堀、水門跡が海城として果たした役目を今に伝えてくれています」
-
.福江城で使われていた水門と船溜まり。外国船を発見したり他藩に出向く時など、小舟で海へ出ていた.
五島氏庭園隠殿屋敷
さて案内役の二人に別れを告げて、次に向かうのは城内の「五島氏庭園隠殿屋敷」。ここは五島家第30代当主・五島盛成の隠居所として建てられた屋敷で、広い池がある回遊式庭園と共に1858(安政5)年に造成された。
明治時代以降も代々の五島家当主が暮らしてきたが、修復・復元を経て2016(平成28)年から一般公開(春と秋の期間限定公開)し、観光客が多く訪れる。
-
.蹴出門から城内に入り、五島氏庭園隠殿屋敷へ。春と秋の2シーズンに一般公開を行っているので、見学のチャンスをお見逃しなく .
今回注目してほしいのは、「心」という字を象った「心字が池」を中心とした庭園だ。回遊式庭園はさほど珍しいものではないのだが、ほかにはない独特の雰囲気を醸し出しているのが、色が黒くゴツゴツとした形状の庭石たち。福江島東部にある五島市のシンボル「鬼岳」が5万年前に大噴火を起こした際、海へ流れ出た溶岩が冷え固まってできた玄武岩を運び使用している。
-
.京都の高僧・全正が設計を手がけたという庭園.
玄武岩の特徴は硬くて丈夫であることに加え、マグマからガスが抜ける際に細かな気泡が開くため軽くて保水性に富んでいること。さらに黒く力強い石の質感が、回遊式庭園の整然とした雰囲気の中に武家の庭らしい凛とした力強さを添えている。植えられている庭木にビロウなどの亜熱帯植物が見られるのも特徴的だ。
-
.池の周りに配されている庭石に注目。まるで亀の首のように見える形状の石を集めているのは、当主が縁起のいい亀が大好きだったから.
鬼岳の玄武岩は、城郭跡を出た城下町でも使われている。城内から歩いて5分ほどの通りに、五島藩に仕えた中級武士たちの武家屋敷群がある。現在は「福江 武家屋敷通り」として人気の観光スポットになっているが、この武家屋敷の石垣も玄武岩だ。
石垣の上に、丸い手のひらサイズの石がいくつも積み上げられている所にも注目。これは単に装飾として積まれているのではなく、「こぼれ石」という伝統的なセキュリティーシステムなのだ。石垣を乗り越えて侵入しようとする盗人が、隙間なく積まれたこぼれ石を落とすと、ガラガラと音が鳴って家人に異変を伝える。まるで忍者屋敷の鳴子。島の自然と共に暮らす人々の知恵が、城下町にも散りばめられていた。
-
.中流階級の武家が暮らしていた武家屋敷通り. -
.武家屋敷の石垣に置かれたこぼれ石.
-
.お椀をかぶせたような形の鬼岳。芝生に覆われ、まるで絵本の中の山のようなフォルムがかわいいが、かつて18,000年前にも大噴火を起こし現在休止中の活火山でもある.
-
鐙瀬溶岩海岸.鬼岳の麓に位置する鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸は、海岸線がおよそ7キロ続く。海岸沿いに遊歩道あり. -
鐙瀬ビジターセンター.鐙瀬溶岩海岸は五島列島ジオパークの一部であり、鐙瀬ビジターセンターで五島列島の自然情報を学べる.
本特集は、「月刊九州王国」2026年8月号巻頭特集に掲載した内容を掲載元の承諾を得て編集したものです。
明神堂(みんじんどう)・六角井(ろっかくいど)
平戸や五島列島を拠点とし、東シナ海を股に掛けた密貿易で財を成した王直。彼が平戸の松浦氏の庇護を受ける前、日本にやってきて本格的な通商を求めたのが、現在の五島市の中心地・福江(当時は深江)である。
福江を治めていた宇久盛定は通商の申し出に喜んで応え、居住地を与えたという。居住地一帯には「唐人町」という地名がつけられた。その周辺には、王直が航海の安全を祈願したとされる廟堂「明人堂」(現在の建物は平成11年に中国の石材・職人を用いて再建されたもの)や、王直時代に唐人たちによって造られたといわれている中国式の「六角井」など、ゆかりのスポットが点在している。
-
.福江港に繋がる福江川沿いに王直が与えられたという居住地・唐人町があった。
再建された「明人堂」も川沿いにある。以前は明人堂そばに荷揚げ場なども遺されていた.
■明神堂
長崎県五島市福江町1032-2 -
六角井
.井戸枠を板石で六角形に囲んでいる中国式井戸。
王直の船団が飲料用水・船舶用水の確保のために掘ったといわれる.
■六角井
長崎県五島市江川町5-12
山崎の石塁(やまさきのせきるい)(勘次ヶ城(かんじがしろ))
五島列島には各地に倭寇や王直に関する伝承地が存在している。市井の人々と交流していたのか資料などには残っていないが、伝承地の多さから、海を渡る自由な海洋人たちが五島列島の人々にとって近しい存在であったことが想像できる。
五島市の海岸部・富江町にある「山崎の石塁」も、倭寇の拠点として構築されたという伝承が残る迷路のような砦状の遺構。近くの海岸には大海原を指す倭寇の像が建てられている。
また山崎の石塁には別名がある。江戸時代に船大工だった勘次という男が行方をくらました後、船乗りの霊の祟りにより正気を失って石塁跡に住み着いていた所を発見されたという。「この石塁は河童と共に築いたものだ」と語ったそうで、それが由来となり「勘次ヶ城」と呼ばれるようになった。
-
.インパクト大の倭寇像。
明が貿易を厳しく制限し彼らを海賊として扱ったが、自由な交易ルートを開拓して東アジアでの密貿易を展開した
. -
.山崎の石塁は人頭大の火山礫によって構築され、ほぼ長方形の構造。内部は迷路のように入り組んでいる。
石塁の近くに構造がわかりやすいミニチュアが設置されている
.
■山崎の石塁(勘次ヶ城)
長崎県五島市富江町岳
【特集】長崎、島の城巡り|長崎の島と城跡を巡る旅
■対馬
城跡が語る壮大な歴史ドラマ!国家存亡の危機に備えて築かれた古代山城
■新上五島
後期倭寇「王直」謎に包まれた海賊王の根城
■壱岐
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため築いた「勝本城」戦国から江戸への歴史の転換点
NEXT
