教会めぐり(長崎コース)-1

港町長崎のキリシタンの歴史は1567年、宣教師ルイス・デ・アルメイダによる布教に始まります。
大村純忠による長崎開港によって各地からキリシタンが集まり、長崎はキリシタンの町として発展しました。しかし「東洋のローマ」と譬えられた長崎は、禁教令とともに受難の舞台へと変貌します。

  • 所要時間:1日
  • 交通手段:路面電車、徒歩
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長崎駅から平和公園まで路面電車で10分、徒歩8分

浦上教会

弾圧に苦しんだ浦上信徒が築いた教会(浦上天主堂)
浦上教会-1

浦上教会(浦上天主堂)は、1873年、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって建設が計画されました。

 

ところが資金がなかなか集まらず、20年余りの時を経た1895年にようやくフレノ神父の設計による教会の建設が開始され、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。


正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、1945年、原爆により建物は破壊され、アンジェラスの鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。

 

現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。

 

周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

住所 〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79
電話番号 095-844-1777
営業時間 9:00~17:00
休日 無休

徒歩5分

如己堂

永井隆博士が執筆に励んだ家
如己堂-1
自身も原爆の後遺症に苦しみながら被爆者の救護に尽力し、「長崎の鐘」「この子を残して」など多くの名著を残した医学博士・永井隆の住居。隣接している記念館では原稿などの遺品も展示しています。
住所 〒852-8113 長崎県長崎市上野町22-6
電話番号 095-844-3496

徒歩10分

原爆落下中心地碑

悲しみの原点、グラウンド・ゼロ
原爆落下中心地碑-1

昭和20年(1945)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられており、園内には被爆当時の地層も残されていますが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。

原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽されたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が芽吹きました。この爆心地周辺も今ではすっかり緑に囲まれ、かつての惨状を思い浮かべるとその逞しい復興の力を感じることができます。

公園の周囲には桜の木が植えられ、桜の季節をはじめ、日頃から緑に囲まれた憩いの空間として親しまれています。

住所 〒852-8118 長崎県長崎市松山町
電話番号 095-822-8888(長崎市コールセンターあじさいコール)

平和公園電停から大学病院電停まで路面電車で3分、徒歩8分

サン・ラザロ病院跡(山王神社)

もうひとつのサン・ラザロ病院
サン・ラザロ病院跡(山王神社)-1
長崎駅近くの本蓮寺にあったサン・ラザロ病院と別に、浦上村のイエズス会経営のハンセン病を扱うサン・ラザロ病院がありました。26聖人は刑場へ向かう途中でここの付属教会に立寄って、別れを告げに来たポルトガル人や信者と会い、2人がイエズス会の修道士となって、西坂の処刑場へ向かいました。
住所 〒852-8106 長崎県長崎市岩川町

徒歩5分

坂本国際墓地

全世界に平和を訴え続けた敬虔なクリスチャンである永井隆博士夫妻が眠る地
坂本国際墓地-1

坂本国際墓地は大浦国際墓地がいっぱいになってしまったので明治21年(1888)に開かれた、長崎では一番新しい国際墓地です。ここには長崎に長い間に渡って滞在した外国人夫婦や子どもなど家族が多く眠り、落ち着いた雰囲気が感じられます。

電車道から向かって右手が最初にできた坂本国際墓地で、入口には自らも原爆の後遺症に苦しみながらも被爆者の救護に力を注ぎ、全世界に平和を訴え続けた敬虔なクリスチャンである永井隆博士夫妻の墓があります。

現在の長崎には多くの、それも多国籍の異国人が住んでいたという形跡は残念ながら少ないですが、この場所には多くの異国人が長崎に足を踏み入れ、あるいは数十年もとどまり、長崎に多くの異文化の息吹きを吹き込んだという揺るぎない事実が残されています。

住所 〒852-8102 長崎県長崎市坂本1丁目2/(旧住所)目覚町26
電話番号 095-822-8888(長崎市 あじさいコール)

茂里町電停まで徒歩5分、茂里町電停から八千代町電停まで路面電車で4分、徒歩5分

日本二十六聖人殉教地(西坂公園)

殉教の様子が描かれたレリーフが建つ丘
日本二十六聖人殉教地(西坂公園)-1

豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。

キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。

戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。
26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。

住所 〒850-0051 長崎県長崎市西坂町7-8
電話番号 095-822-6000(二十六聖人記念館)

徒歩5分

中町教会

初代教会は、江戸時代から明治にかけてキリシタンが入れられた桜町牢跡での建設。
中町教会-1
島内要助神父は、殉教の歴史をもつこの地に、日本人のための教会を建てようと志し、苦労の末に1889年の暮、キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて教会設立した。

教会はフランスのパピノー神父の設計で1891年8月より建設に着手、1897年9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行された。
教会建設にあたっては、フランスのある婦人の当時の金額で8万フランにものぼる寄付や、多数の恩人の協力があった。

1945年8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、1951年10月、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され現在に至る。
そのため、貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けており、教会の門の側に銘版が設置されている。


  • 住所 〒850-0055 長崎県長崎市中町1‐13
    電話番号 095-823-2484
    営業時間 6:30~18:00
    ※木・土のみ20:00頃まで開放しております。またミサの時間により多少変動します。
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住所 〒850-0055 長崎県長崎市中町1‐13
電話番号 095-823-2484
営業時間 6:30~18:00
※木・土のみ20:00頃まで開放しております。またミサの時間により多少変動します。

徒歩5分

サント・ドミンゴ教会跡資料館

南蛮時代~代官屋敷時代の様々な出土品を展示。17世紀~19世紀の長崎を物語る貴重な資料。
サント・ドミンゴ教会跡資料館-1
1609年、ドミニコ会のモラレス神父は、鹿児島を逃れるとき教会堂を解体して、長崎代官・村山等安が寄進した土地に建てた。この時代の石畳や地下室、その後建てられた代官屋敷時代の井戸などが、小学校の建て直しの際の発掘ででてきた。公開中。
住所 〒850-0028 長崎県長崎市勝山町30‐1(桜町小学校内)
電話番号 095-829-4340
休日 毎週月曜日、12月29日~1月3日

桜町電停まで徒歩5分、桜町電停から蛍茶屋電停まで路面電車で8分、徒歩10分

本河内ルルド

コルベ神父がフランスのルルドに似た洞窟を本河内の修道院の近くに見つけ、神父がポーランドへ帰国後、ルルドができた。
本河内ルルド-1
コンベンツアル聖フランシスコ会のコルベ神父は1930年に長崎にきて聖母の騎士修道院を作り、6年後に祖国ポーランドにもどるが、アウシュビッツの収容所で身代わりとなってなくなった。コルベ神父がフランスのルルドに似た洞窟を本河内の修道院の近くに見つけ、神父がポーランドへ帰国後、ルルドができた。1981(昭和56)年来日の教皇ヨハネ・パウロ2世は同郷のコルベ神父ゆかりの本河内を訪れ、1982年にコルベ神父は聖人となり、ルルドは神父ゆかりの巡礼地となった。下には、コルベ神父と神父と共に来たゼノ修道士の功績を紹介する聖コルベ記念館がある。
住所 〒850-0012 長崎県長崎市本河内2‐2‐1(本河内教会堂左横の石段をあがる)

蛍茶屋電停まで徒歩8分、蛍茶屋電停から大浦天主堂電停まで路面電車で20分、徒歩5分

大浦天主堂

世界の宗教史上に残る劇的な「信徒発見」の舞台
大浦天主堂-1

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。


また、建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。

設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。

 

1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。

この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。


1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。

1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。

また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。

 

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  • 住所 〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
    電話番号 095-823-2628(大浦天主堂)
    営業時間 8:00~18:00(最終入館は30分前まで)
    冬季営業時間(2020年12月1日~2021年3月31日)8:30~17:30(最終入場 17:00)
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住所 〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
電話番号 095-823-2628(大浦天主堂)
営業時間 8:00~18:00(最終入館は30分前まで)
冬季営業時間(2020年12月1日~2021年3月31日)8:30~17:30(最終入場 17:00)

FINISH

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