アンゼラスの鐘の丘を訪ねて

昭和20年8月9日午前11時2分、原子爆弾により一瞬のうちに廃墟となったこの地。
あれから70余年。美しく整った平和公園の一画には、当時をしのばせる遺構も点在しています。
浦上地区の人々は江戸時代、キリスト教徒迫害の中、耐え忍びながら強く生きました。再び彼らを襲った原爆という災禍にも負けず、町と教会を見事に再興したその姿を目の当たりにすると、人が生きるという意味と、信仰が持つ強さを考えさせられます。
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- 所要時間:日帰り
- 交通手段:徒歩
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平和公園(原爆落下中心地)
黒御影石の碑が表す爆心地

原爆落下当時は、地元有力者の別荘と庭があった場所。当初はスレート製煙突の破片に消し炭で「爆心」と書いた標識が立てられていました。
住所 | 〒852-8118 長崎県長崎市松山町 | |
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電話番号 | 095-822-8888 |
旧松山町防空壕跡
一人の少女の命を救った防空壕

原爆落下時は警報解除中だったため、町民のほとんどは被爆。壕で遊んでいた9歳の少女だけが、町内唯一の生存者となりました。
住所 | 長崎市松山町 |
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平和公園と平和祈念像
世界に向けて平和を発信する公園

8月9日の平和記念式典が行われる場所。祈念像は長崎出身の彫刻家・北村西望作。右手は原爆の脅威を、左手は平和を表しています。
住所 | 〒852-8118 長崎県長崎市松山町 | |
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電話番号 | 095-829-1164 |
長崎刑務所浦上刑務支所遺壁
長崎刑務所浦上刑務支所遺壁

爆心地から200mの刑務所は瞬時に倒壊。受刑者や未決囚、看守とその家族134人全員が死亡。中国・朝鮮人45人も含まれていました。
住所 | 長崎市松山町 |
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市立山里小学校(山里国民学校跡)
千羽鶴と佇む永井博士ゆかりの碑も

被爆により児童1581人のうち1300人、教師28人が亡くなりました。校舎裏手の防空壕は、事前の申し込みで見学も可能です。
住所 | 長崎市山里町 |
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如己堂
永井博士が暮らした畳二畳の自宅
被爆しながらも救護活動に奔走した永井隆。2人の子どもと共にここで暮らし、「長崎の鐘」「この子を残して」などを執筆しました。
電話番号 | 095-844-3496 |
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永井隆記念館
平和を希求し続けた生涯をたどる

博士の遺品や写真、著作などを展示。2階には近所の子どものために開放した「うちらの本箱」の精神を受け継いだ図書館もあります。
住所 | 〒852-8113 長崎県長崎市上野町22-6 | |
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電話番号 | 095-844-3496 | |
営業時間 | 9:00~17:00 | |
休日 | 12月29日~1月3日 |
浦上天主堂鐘楼ドーム
朝夕に響いていたアンゼラスの鐘

鐘楼の左塔のドーム部分は、爆風で落下し北側の川底へ崩落。右塔の鐘は瓦礫の中から発掘され、今も変わらぬ音を響かせています。
住所 | 〒852-8112長崎県長崎市本尾町1-79 |
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浦上教会
原爆の脅威を今に伝える聖堂

30年の歳月をかけて建てられた聖堂が、原爆により全壊。1981年の法王ヨハネパウロ2世来日を機に、昔日の面影がよみがえりました。
住所 | 〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79 | |
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電話番号 | 095-844-1777 | |
営業時間 | 9:00~17:00 | |
休日 | 無休 |
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