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  • 日本二十六聖人殉教地(西坂公園)-1

    日本二十六聖人殉教地(西坂公園)

    長崎

    キリスト教弾圧の歴史を物語る聖人のレリーフと記念館が建つ丘

    西坂公園はJR長崎駅東側、NHK長崎放送局横の坂道を上り徒歩約6分の小高い丘に位置します。 豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導してい...

  • 本河内ルルド-1

    本河内ルルド

    長崎

    カトリック信者の巡礼地

    カトリック信者の巡礼地と知られる南フランスの町、ルルド。本場のルルドは地名ですが、日本では “奇跡の泉”や巡礼地の意を込めた固有名詞として使用されてい...

  • 平戸の聖地と集落(中江ノ島)-1

    平戸の聖地と集落(中江ノ島)

    平戸・松浦

    かくれキリシタンの聖地

    中江ノ島は平戸島北西岸の沖合2キロに位置する長さ400m、幅50mの無人島です。 この島では禁教時代初期に平戸藩によるキリシタンの処刑が行われた記録があり、現在の生月の...

  • 焼罪公園(カミロ・コンスタンツォ神父殉教碑)-1

    焼罪公園(カミロ・コンスタンツォ神父殉教碑)

    平戸・松浦

    殉教地から平戸瀬戸をはさんで対岸に平戸城と平戸ザビエル記念教会堂が見える。

    カミロ神父は禁教令でマカオへ追放され、1621(元和7)年に日本に再潜入。佐賀の不動山や唐津で活動し、翌年、平戸領内で捕えられ、田平で火刑となった宣教師。殉教地から平戸瀬戸を...

  • 放虎原殉教地-1

    放虎原殉教地

    諫早・大村

    郡崩れによりキリシタンが処刑された場所

    大村の処刑場跡。明暦3年(1657年)、603人の潜伏キリシタンが発覚した事件「郡崩れ」に関係する場所。 郡崩れのキリシタンのうち131人が万治元年(1658)に殉教した...

  • 十字架山-1

    十字架山

    長崎

    浦上四番崩れの流配から戻った浦上の信徒は、絵踏みをしたことを罪として償い…

    浦上四番崩れの流配から戻った浦上の信徒は、絵踏みをしたことを罪として償い、そして信仰を表明できることに感謝して、1881(明治14)年、当地の丘を購入して十字架を建てた。

  • 獄門所跡-1

    獄門所跡

    諫早・大村

    郡崩れで処刑された殉教者の首を晒されたという場所

    郡崩れで処刑された131人の殉教者の首が塩づけされ、みせしめのため20日間晒されたという場所。 1968(昭和43)年、聖母像が建てられた。

  • 黒瀬の辻殉教地(ガスパル様)-1

    黒瀬の辻殉教地(ガスパル様)

    平戸・松浦

    生月最初の殉教者

    188福者のひとりガスパル西は、1609(慶長14)年に処刑され、生月最初の殉教者となった。十字架がたつ墓地「クルスの辻」での処刑を望んだという。クルスが「黒瀬」となったらし...

  • 雲仙地獄殉教地の碑-1

    雲仙地獄殉教地の碑

    島原・雲仙・南島原

    雲仙の焦熱地獄で、拷問と処刑がおこなわれた記録がある。

    1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録がある。有馬晴信の家臣・パウロ内堀ら16人が最...

  • 鈴田牢跡-1

    鈴田牢跡

    諫早・大村

    1617(元和3)年から5年間、宣教師たちが収容された牢屋跡。

    1617(元和3)年から5年間、宣教師たちが収容された牢屋跡。4年間入牢したスピノラ神父が書き残した牢の平面図と手紙から、12畳の鳥籠のような牢屋だったことがわかっている。

  • 楠原牢屋跡-1

    楠原牢屋跡

    五島列島

    明治の始め、キリシタン迫害のために牢屋として使われた建物(復元)

    1868(明治元)年末、久賀島からはじまった「五島崩れ」はクリスマスの日に水ノ浦におよび、まもなく楠原のキリシタンも取り調べをうけて、仮牢となった帳方(キリシタン組織の最高責...

  • 島原殉教地-1

    島原殉教地

    島原・雲仙・南島原

    1627(寛永4)年、15人のキリシタンが指を切り落とされ、舟に乗せられて厳寒の…

    1627(寛永4)年、15人のキリシタンが指を切り落とされ、舟に乗せられて厳寒の有明海に沈められて殉教した。その中の有馬の家臣パウロ内堀の3人の息子たちが188福者となった。

  • 首塚-1

    首塚

    諫早・大村

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された殉教者たちの首を胴体と離して埋めたと伝えられる場所。

    郡崩れのとき、放虎原で処刑された131人の殉教者たちの首が、キリシタンの妖術で胴体とつながるのを恐れて、離して埋めたと伝えられる場所。キリシタンの復活に対する信仰から生じた話...

  • 有馬川殉教地-1

    有馬川殉教地

    島原・雲仙・南島原

    棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族の殉教地。

    棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族が、1613(慶長18)年、2万人以上の信徒が見守るなか、日野江城の前の広い浜で火刑となり、殉教した。その中には11歳の少年もいた...

  • 胴塚-1

    胴塚

    諫早・大村

    郡崩れの131人の殉教者の胴体を埋めたと伝えられる場所。

    郡崩れの131人の殉教者の胴体を埋めたと伝えられる場所。

  • アダム荒川殉教地-1

    アダム荒川殉教地

    有馬家に仕えていたアダム荒川は、宣教師の取りなしで手打ちを免れて以来、教会の…

    有馬家に仕えていたアダム荒川は、宣教師の取りなしで手打ちを免れて以来、教会のために働き、1590年頃志岐の教会へ行く。1614(慶長19)年宣教師に代わって信徒の世話をしてい...

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