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教会めぐり(島原半島コース)

教会めぐり(島原半島コース)-1

雲仙岳の裾野に広がる美しい半島の南端、口之津の港に降り立った宣教師達はキリスト教とともに最新の西洋文化を伝えました。
4人の天正遣欧少年使節も、この半島のセミナリヨで夢を育みました。キリシタン文化は、荒れ野に注がれた水のように、人々の生活の中に浸透していきました。しかし、キリシタン迫害と重税に苦しむ農民らが蜂起したという島原の乱では、幕府が繰り出した軍勢の前に、一揆軍は殲滅。すべてのものが土中深く封印されました。

  • 所要時間:1日
  • 交通手段:車
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JR諫早駅から車で60分

島原城

観光島原のシンボルである島原城は、キリシタン資料を中心とした総合的な郷土史料博物館です。
島原城-1
1616年、大和(奈良県)五条から島原に移封した松倉豊後守重政は、1618年から7年余の歳月を費やして島原城を築きました。

城は昔「四壁山」「森岳」などと呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので別名を森岳城とも言います。南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所ありました。

内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続きます。本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えでありました。

城は松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・松平氏と4氏19代253年間の居城でしたが、1874年に廃城となり、民間に払い下げられました。以来、文字通りの荒城となっていましたが、1964年に復興された五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓を配し、安土桃山様式の壮麗な面影を残しています。

現在、城内の建物はキリシタン史料館(天守閣)、北村西望記念館(巽の櫓)民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されています。なかでもキリシタン史料館は、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料を展示しています。

西望記念館は日本彫塑界の巨匠で文化勲章を受賞した郷土出身の芸術家北村西望氏の代表作を展示している施設です。

また観光復興記念館では198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳の噴火活動の経過を写真、模型、200インチのスクリーンで紹介しており、火山学習に最適なスポットとなっています。
住所 〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183-1
電話番号 0957-62-4766(株式会社島原観光ビューロー(島原城))
営業時間 9:00~17:30
休日 年中無休

車で35分

吉利支丹墓碑

ローマ字文が刻まれた墓碑として日本最古とされる蒲鉾型の墓碑。
吉利支丹墓碑-1
ローマ字文が刻まれた墓碑として日本最古とされる蒲鉾型の墓碑。共同墓地にある現在地の地下から1929(昭和4)年に発見された。1610年になくなった「フィリ作右衛門ディオゴ」というキリシタンのものである。
住所 〒859-2212 長崎県南島原市西有家町須川東向共同墓地内
電話番号 0957-73-6600(南島原市役所)

車で15分

日野江城跡

一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。
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一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。大手門付近などに石垣が残る。近年の発掘で、キリシタンとなった有馬義貞・晴信の時代の状況をかたる仏式の墓石等も利用して作った階段遺構などが発見された。
 
住所 〒859-2305 長崎県南島原市北有馬町
電話番号 050-3381-5083
営業時間 見学自由、ただし立ち入り禁止区間有り 

車で5分

有馬川殉教地

棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族の殉教地。
有馬川殉教地-1
棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族が、1613(慶長18)年、2万人以上の信徒が見守るなか、日野江城の前の広い浜で火刑となり、殉教した。その中には11歳の少年もいた。188福者となる。
住所 〒859-2305 長崎県南島原市北有馬町

車で5分

南島原市有馬キリシタン遺産記念館

原城跡、日野江城跡のガイダンス施設
南島原市有馬キリシタン遺産記念館-1
世界文化遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産である「原城跡」をはじめ、「日野江城跡」、同時に信仰を支えた教育機関「有馬のセミナリヨ」などを紹介しており、長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧、キリシタンの潜伏から復活など一連の歴史を学ぶことができます。
住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙1395番地
電話番号 0957-85-3217
営業時間 9:00~18:00
休日 木曜日、年末年始

車で5分

原城跡

キリシタンが「潜伏」し、独自に信仰を続ける方法を模索することを余儀なくされたきっかけとなる「島原・天草一揆」の主戦場跡
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原城は1496年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。

晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退
義直時代には、佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、島原半島の南部をかろうじて維持できた。

有馬晴信が1612年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。

その後、1616年大和五条より松倉重政が入封、一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、日之江・原城は廃城となった。

1637年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。「島原・天草一揆」である。

昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。

原城本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望による祈りをささげる天草四郎像や、西有家町の民家の石垣に埋もれていた天草四郎の墓石が移されている。

また、この台地は約9万年前に起こった阿蘇火山の大噴火による火砕流がつくったものであり、この地層の中には、雲仙火山のものとは全く性質が異なる白い軽石が含まれている。

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産です。

住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町
電話番号 0957-65-6333(南島原ひまわり観光協会)

車で30分

雲仙地獄殉教地

雲仙の焦熱地獄で、拷問と処刑がおこなわれた記録がある。
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1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録がある。有馬晴信の家臣・パウロ内堀ら16人が最初の殉教者で、188福者となった。
住所 〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙(雲仙公園ビジターセンター側の雲仙地獄の奥の十字架が目印)

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