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島原・天草一揆の舞台「原城跡」を巡る

島原・天草一揆の舞台「原城跡」を巡る-1

天草四郎を総大将として数万人のキリシタンや農民が立て篭った「島原・天草一揆」。悲劇の舞台となった国指定史跡・原城跡。

  • 所要時間:日帰り
  • 交通手段:徒歩

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原城跡

悲劇を今に伝える地蔵尊塔
原城跡-1

島原の乱では3万人以上のキリシタン・農民が命を落とし、原城一帯で後に多くの遺骨が出土されました。散乱していた遺骨を敵・味方の区別なく拾い集めてその霊をなぐさめたのが、このほねかみ地蔵です。

住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町
電話番号 0957-76-1800(南島原ひまわり観光協会)

空掘

女性や子供が隠れていた場所
空掘-1

原城本丸跡の少し手前に位置する空掘跡。島原の乱で籠城していた際には防衛用として使われた場所で、戦にでない女性・子どもなどが隠れていたと言われています。

住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町
電話番号 0957-76-1800(南島原ひまわり観光協会)

原城本丸大手門跡

遠く沖を航行する船から見えた可能性も
原城本丸大手門跡-1

平成16年の発掘調査で、大量の瓦・陶磁器などと共に発見。遠望を意識した豪華な外観であった可能性があり、当時の有馬氏の権力をうかがい知ることができます。

枡形虎口

国内最大級の虎口遺構
枡形虎口-1

原城本丸の正面玄関に相当する虎口(城の主要な入り口)遺構。南北90m・東西80mと非常に大きく、また複雑で戦闘的な構造であったことが分かっています。

竪穴建物跡群

一揆軍籠城の建物跡
竪穴建物跡群-1

島原の乱で一揆軍が立て籠もった、地面を掘り込んだ半地下式の小屋。この竪穴建物跡群の発掘で、一揆軍の実態が少しずつ明らかになってきているのだそう。

櫓台跡

口之津・天草を見渡せる
櫓台跡-1

天主なるものが建っていたのではないかと思われる場所。石垣内の隅の壊された部分から大量の瓦が出土しています。

本丸門跡(四郎家)

天草四郎の最後の居宅跡か
本丸門跡(四郎家)-1

史料に記されている天草四郎最後の居場所とも一致する遺構。本丸の大規模な虎口の最奥部では、周囲を石垣で囲まれている門の礎石も見ることができます。

天草四郎像

島原の乱の総大将
天草四郎像-1

16歳で島原の乱の総大将となった天草四郎の像。原城本丸で祈りをささげるこの像は、長崎平和祈念像で有名な南島原市出身の彫刻家・北村西望氏の作品です。

住所 〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町

天草四郎の墓

ゆかりの深い原城跡へ
天草四郎の墓-1

墓石は西有家町にある民家の石垣の中に埋もれていたもの。その後ゆかりの深い原城に移し供養したと言われています。

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