映画『長崎ー閃光の影でー』
2025年8月1日 全国公開 【7月25日より長崎県先行公開】
本作が公開される2025年は戦後80年にあたる年です。
被爆直後の長崎という極限の状況下で、命がけで被爆者の救護にあたった若い看護師たちの手記を原案に制作された、映画『長崎ー閃光の影でー』を紹介します。
最新トピックス
-
松本准平監督・菊池日菜子さんが長崎県庁を表敬訪問
7月4日(金)に、松本准平監督と主演の菊池日菜子さんが長崎県庁・長崎市役所を表敬訪問されました。
松本監督は本作について「当時の長崎のことが、映画に映りこんでいればと思いますし、それを見て一人一人がそれぞれの立場で映画に描かれていることと向き合ってもらえれば嬉しい」とコメントされました。 -
長崎先行上映を記念した舞台挨拶の実施
7月25日(金)・26日(土)には長崎県内の映画館4館で舞台挨拶が行われ、松本監督と出演者の菊池さん・小野花梨さん・川床明日香さんが登壇し、本作を通した平和への想いや長崎の印象などを感慨深そうにお話しされました。
また、ロケについて・主題歌についての裏話もあり、会場からは驚きの声も上がっていました。
映画『長崎ー閃光の影でー』 作品情報
【あらすじ】
1945年、長崎。看護学生の田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲの3人は、空襲による休校を機に帰郷し、家族や友人との平穏な時間を過ごしていた。しかし、8月9日午前11時2分、原子爆弾が炸裂し、その日常は一瞬にして崩れ去る。街は廃墟と化し、彼女たちは未熟ながらも看護学生として負傷者の救護に奔走する。救える命よりも多くの命を葬らなければならないという非情な現実の中で、彼女たちは命の尊さ、そして生きる意味を問い続ける――
【出演】
菊池日菜子
小野花梨 川床明日香
水崎綾女 渡辺大 田中偉登 加藤雅也 有森也実 萩原聖人 利重剛 / 池田秀一 山下フジヱ
南果歩 美輪明宏(語り)
【作品情報】
映画『長崎ー閃光の影でー』
原案:「閃光の影で―原爆被爆者救護 赤十字看護婦の手記―」(日本赤十字社長崎県支部)
監督:松本准平 脚本:松本准平 保木本佳子
主題歌:「クスノキ ―閃光の影で― 」(アミューズ/Polydor Records)
作詞・作曲:福山雅治 編曲:福山雅治/井上鑑 歌唱:スミ(菊池日菜子)/アツ子(小野花梨)/ミサヲ(川床明日香)
配給:アークエンタテインメント
【公開情報】
7月25日(金)長崎先行公開 / 8月1日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか 全国公開
©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会
予告編
『長崎ー閃光の影でー』本編シーンより
本作の取材・ロケについて
本作のロケハンは令和5年9月に行われました。
物語の舞台となる昭和20年の長崎を再現するために、松本監督をはじめとする関係者の皆さんが来県し、当時の資料の調査や被爆者の方へのインタビューなど入念な取材が行われました。
被爆直後の長崎での救護活動を知るために、まずは日本赤十字社長崎原爆病院を訪問しました。
当時の白衣やキャップを手に取り、時代背景を伺いつつ、当時撮影された写真などをスタッフが確認していました。
この貴重な資料を参考資料としてお借りし、劇中の衣装は当時のものを忠実に再現して製作されました。
病院の関係者・被爆者の方へのインタビューを行った後に、被爆地を確認するため、長崎特有のキリシタン墓地群と浦上天主堂、街並みを眺望できる場所を探しに、スタッフとともにロケハンを行いました。
地図である程度ポイントを絞り、車が通れない坂道を歩き回って、苦労の末に発見した浦上天主堂と街並みが一望できるスポット周辺は草が生い茂っていましたが、地域住民の皆さまにもご協力をいただき、足場を整えた状態でスムーズに撮影が行えました。
その後訪れた浦上天主堂では、監督たちが煉瓦造りに関心しながら天主堂の周りをじっくりと眺めていました。建物や鐘の音などを確認され、ロケハンの結果を映画にどう反映するかを検討する監督たちの姿が印象的でした。
-
被爆地を見下ろす高台からの風景
-
アパートにカメラを設置させてもらい撮影しました
ロケは 早朝、市内を眺望できる浦上天主堂裏にある坂道から撮影がスタートし、坂道を行き交う地域住民の方からも温かい応援をいただきながら、撮影は順調に進んでいきました。
浦上天主堂では、礼拝などが行われる中、来場する車や人をうまく誘導しながらの撮影となり、鐘の音を録音する際には、物音を立てないようにスタッフ全員が静かに待機し、慎重に進められました。
平和公園でお祈りを捧げたあと、原爆落下中心地に移動し、ここに移設された浦上天主堂の遺壁などを撮影しました。
最後に撮影が行われたのは、クスノキで有名な「山王神社」。
撮影日は平日だったこともあり、多くの修学旅行生が訪れていたため、静かに境内を見学いただいたり、撮影中の移動を待ってもらうなど、スムーズな撮影にご協力いただきました。
ここでは本作の原案に体験記を寄せた元看護学生の方の出演シーンが撮影ましたが、冒頭の重要なシーンということでリハーサルも慎重に行われ、出演者の方の知り合いも多く駆け付けて、ロケを見守っていました。
出演者の方は待機中にも何度も繰り返しセリフを練習されているのが印象的でした。
撮影が終わると自然に拍手が起こり、撮影にかけつけた方々やスタッフが見守る中、出演者の方はご帰宅されました。
原爆の影響を受けつつ、今もなお力強く生きつづけるクスノキ。緑葉と眩しい日差しの中、平和のひとときを実感した撮影でした。
-
浦上天主堂での撮影
-
被爆した浦上天主堂の遺壁(爆心地)
物語のシンボル『山王神社のクスノキ』
-
山王神社被爆クスノキ
もっと見る主題歌は、山王神社の被爆クスノキを題材にした「クスノキ -閃光の影で-」を福山雅治さんがプロデュース・ディレクションを担当され、メインキャスト3名が歌唱しています。
山王神社の境内入口にどっしりと根をおろしている大クス。青々と茂る葉と力強く伸びる幹が印象的です。
この大クスは、1945(昭和20)年8月長崎市上空で炸裂した原子爆弾により、幹に亀裂が入り枝葉も吹き飛ばされ、熱線で焼かれ一時は枯死寸前となりました。しかしその後、奇跡的に再び新芽を芽吹き次第に樹勢を盛り返して蘇り、焼け野原から復興に向かう被爆者らを勇気づけました。平和や再生のシンボルとして親しまれ現在では長崎市の天然記念物に指定されています。
命がけで救護にあたった人々の想いに触れる
劇中で描かれたスミたちのように、被爆直後の長崎では自身も傷を負いながらも、命を救おうと奮闘する人々がいました。
現在の長崎でも、当時の様子や救護にあたった人々の想いに触れることができます。
-
救護所メモリアル(長崎市立図書館)
詳細はこちらから長崎市立図書館がある場所には、かつて「新興善小学校」がありました。
校舎が原爆による倒壊を免れたことから市内最大規模の救護所として使用され、被爆1週間後の8月17日からの2週間でおよそ8,000人が治療を受けたとされています。
図書館の一角に救護所を再現した展示室があり、治療に使われた器具が展示されているほか、治療を受けた被爆者や救護にあたった医師などの証言映像・パネルなどが展示されています。 -
如己堂(長崎市永井隆記念館)
もっと見る永井隆記念館に隣接する如己堂は、自身も被爆しながらも救護活動に尽力した永井隆博士の病室兼書斎です。
原爆で無一文となった浦上の人々やカトリック信者仲間達の厚意によって、博士のための新しい住まいとして建てられた2畳の建物です。博士はこの建物を“己の如く隣人を愛せよ”という意味から“如己堂(にょこどう)”と名付けここで晩年を過ごしました。
襲い来る白血病の病魔と闘い、寝たきりになりながらも必死に執筆活動を行い、平和の尊さを訴え続けました。
被爆直後の長崎へ向かう救援列車
原爆救援列車とは、1945年(昭和20年)8月9日の原子爆弾投下直後、現在のJR長与駅を出発した計4本の列車です。
運輸省門司鉄道管理局長崎管理部により運行計画が立てられ、正午過ぎに最初の救援列車が出発しました。
救援列車は、爆心地から1.4kmほど離れた、道ノ尾駅と浦上駅の中間にある昭圓寺(しょうえんじ)付近でこれ以上進むことが難しくなり、そこで負傷者を収容し、諫早へと向かいました。
長与駅で被災した上り列車が9日最終の救援列車として運行するなど、8月9日に4本の救援列車が奔走し、およそ3,500人の負傷者が諫早、大村、川棚の各海軍病院などへ運ばれました。
原爆救援列車の活躍を後世に伝える場所として、JR長崎本線沿い【掲載画像】や長与駅前にモニュメントが設置されています。
本作は、原案となった手記をもとに、監督・スタッフの皆さんが関係者への取材や資料調査を丁寧に行い、救護活動に奔走する看護学生たちを通した「被爆直後の長崎」の極限状態が描かれています。
救護活動にあたる3人の少女たちが抱える「無事に明日を迎えられるか」という恐怖や「原爆を落とした相手を許せるのか」という葛藤からは、戦争の悲惨さや愚かさが、3人の友情、家族・恋人への想いからは、いつの時代でも変わらない「人を思いやる心」が伝わってきます。
戦後80年の夏に平和への想いとともに、ぜひ映画館でご鑑賞ください。
平和について学ぶモデルコース
Google Mapの読み込みが1日の上限を超えた場合、正しく表示されない場合がございますので、ご了承ください