日本の近代化に貢献した青い目のサムライ

トーマス・グラバー

トーマス・グラバー

スコットランド生まれのグラバーが日本へやってきたのは今から150年ほど前、安政年間の長崎開港の年のこと。なんと21歳という若さでの来日でした。貿易会社の社員だった彼は長崎の日本支社で勤務していましたが、ほどなくして自身の貿易会社「グラバー商会」を設立。当初は主にお茶や生糸、銀などの日本の特産品を海外に輸出していました。しかし、時は幕末の動乱期。日本人が求める最新式の銃や戦艦などの武器弾薬を大量に販売し、巨万の富を得ました。多くの観光客が訪れるグラバー園には、その名の通りグラバーの邸宅が残されており、邸内には愛用のステッキ等、グラバーの遺品が展示されています。

グラバーがいなかったら大政奉還も無かったかも!?

グラバーが暮らした木造洋館で当時の新しい風を感じよう

グラバーは、坂本龍馬率いる亀山社中と武器の取引をしていたことで知られています。幕末の不穏な国内情勢の中、薩摩藩・長州藩・土佐藩といった討幕派を支援し、大きな力を与えました。これらの藩がグラバーとの取引により強大な軍事力を持ったことで、追い詰められた徳川幕府は大政奉還を決意、200年以上続いた徳川幕藩体制が崩壊しました。また、伊藤博文らの極秘欧州留学の橋渡し役となるなど、後世に名を残す有望な若者たちを支えたとも言われています。その一方で、グラバーは徳川幕府や佐幕派の藩からの武器弾薬の注文にも応えており、現代風に言えば「割り切ったビジネスマン」としての側面もあったようです。

外国人なのに明治政府から勲章をもらった!?

グラバー(左)とともにビジネスを展開したオルト、大浦慶、岩崎弥太郎

明治に入ってからグラバーは、造船、採炭、製茶などの新たな事業を幅広く展開しました。現在でも、小菅修船場跡(ソロバン・ドッグ)などにその功績を見ることができます。グラバー商会はその後倒産してしまいますが、幕末に土佐商会の代表として活躍し三菱を起こした岩崎弥太郎の右腕として三菱の顧問を務めるなど、晩年まで活躍しました。経済人として日本の近代科学技術導入に大きく貢献し、明治日本の近代化に確かな足跡を残したグラバー。明治41年には明治政府がその功績を称え、グラバーに勲二等旭日重光章を送りました。このことは、彼が日本の近代化に貢献した人物であると日本政府が認めた証と言えるでしょう。

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