長崎県観光マイスター

長崎県では、県内の観光活性化に活躍している方の業績を讃えるとともに、県内各地の観光振興の取り組みに対する助言等、本県の観光振興に広く協力していただくことを目的に「長崎県観光マイスター」として認定しています。
90万人以上を集客するイベント「長崎ランタンフェスティバル」を成功に導いた立役者

林敏幸 はやしとしゆき 中国料理 会楽園 支配人

略歴

昭和21年 長崎県長崎市生まれ
昭和41年 中国料理 会楽園 支配人就任
昭和62年 長崎新地中華街商店街振興組合催事部長就任、春節祭を始める
平成元年 長崎「旅」博覧会で「異国中国ゾーン」実行委員長
平成2年 長崎商工会議所青年部会長
平成6年 「長崎ランタンフェスティバル」開催
平成7年 長崎ランタンフェスティバル企画幹事会の幹事長
平成17年 観光カリスマ就任
平成18年 長崎県観光マイスター就任

取り組みの内容

中国の伝統行事として、長崎新地中華街で小規模で行われていた春節祭を、九州を代表する冬のイベントに導いた立役者。平成19年には15日間で92万人もの集客があり、経済効果も90億円を超える。また、行政と市民が一体となって運営するイベントとして、これほどまでに成功した事例は全国的にも少なく、注目を集めている。

中国門を作ったことが中華街の人々の心に灯をつけた

林敏幸さん 林氏は福建省から長崎に渡った父を持つ華僑2世。長崎に生きる華僑の約95%は福建省出身で、国宝がある崇福寺が菩提寺になっている。
この寺は華僑の心のよりどころであるため、中国盆など伝統行事は当番制で継がれていた。中国の旧正月を祝う「春節祭」は、昭和30年代でさえ中華街の中で2〜3軒でしか行っていなかったらしい。

ランタンフェスティバル当時のスナップ

平成13年に、(財)地域活性化センターの「第5回ふるさとイベント大賞」を受賞

時は流れ、40歳になっていた林氏は青年会議所で活躍する若者へと成長していた。
3人兄弟の末っ子だった林氏は中国料理店の営業活動全般に携わり、長兄の照雄さんが店経営、次男の健治さんが料理に腕を振るうなど役割分担を見事にこなしていた。
ある時、長兄の照雄さんを中心に「おやじたちが中国から苦労して海を渡り、この中華街を作った事実を伝えるため、象徴となる門を作ろう!」と話が持ち上がる。
当時の中華街には、中国のまちであるという象徴物が何一つなかったのだ。
しかし門を作るにも大金がかかる、それら融資を得るには組合を作る必要性があり、兄照雄さんと林氏はひとりひとり根気よく説得してまわった。
しかし周辺には他にも組合が2つもあり、「またお金がかかる」とか「そんな大金を使って何か身になるのか」とさえ言われた。
それでも心が通じ合えた人々と昭和59年に中華街振興組合を設立。中小企業高度化資金を活用し2年後には見事な牌楼門(ばいろうもん)を完成させた。このときの説得で出会った人々が、今のランタンフェスティバルの成功に大きな意味を持つことになる。


春節祭から長崎旅博覧会の成功

林敏幸さん 門の完成1年を祝して心ばかりのイベントを開催したいと思った時、街の長老たちから「旧正月を祝う春節祭(しゅんせつさい)はせんとね?」と言われた。
この一言に「よし!やろう!」と皆の心が決まる。門を作ったことが、中国人たるアイデンティティを意識させたのだ。
しかし、手始めに一体何をすればいいのか?経験も知識もないなか、旧正月の最終日を意味する1月15日の「元宵節(げんしょうせつ)」に、提灯をぶら下げて町中を歩く習わしがあることに着目。
台湾製のビニール提灯を200〜300個購入して店の軒先に掲げた。イベントは縁起がいい中国獅子舞だけ。昭和62年に始まった小さな小さな「春節祭」は、こうやって静かに誕生した。

ランタンフェスティバル当時のスナップ

最初の頃は100円ちゃんぽんも作って、行列する観光客であふれていた。

春節祭が4回目を迎えた平成2年、長崎県、長崎市、長崎商工会議所など行政と民間が一体となった長崎「旅」博覧会が開催。
94日間にわたり189万人の人出で賑わった。このとき林氏は「異国中国ゾーン」の実行委員長を務め、イベント企画に頭を捻っていた。
当時、映画「ラストエンペラー」がブームで、これをヒントに皇帝・皇后の結婚式を再現した「中華大婚礼」をやってみようと考えがまとまる。
早速、本当に挙式をしたいカップルを全国に公募し、3組を選出。パレード用の衣装から装飾品全てを買出しに中国へ赴き、パレードに参加する100人もの人数を新地中華街の青年はじめ商工会議所青年部、長崎青年会議所、青年協会などに声をかけ集めた。「中華大婚礼」は、崇福寺を出発しアーケードを練り歩いて中華街の湊(みなと)公園に到着。
中国式の結婚式は中国総領事が仲人となり、来賓代表あいさつを長崎市長により執り行い、その後「旅」博覧会の主会場である長崎国際埠頭松が枝までカップルと100人がパレード。そこから中国式の帆船「フェイファン」に乗って新婚旅行をし、到着地である伊王島のホテルで本当の披露宴を行った。これには島民の惜しみない歓迎も功を奏した。
3組全てが無事に終わり、林氏は関わったすべてのスタッフを伊王島に呼んで労をねぎらった。ひとりひとりの顔を見ているうちに、涙が溢れて溢れて止まらなかった。ひとつのことに100人を超える人の心が結び合った、言葉にならない達成感…。これが、ランタンフェスティバルを始める自信と起爆剤になったと林氏は振り返る。


長崎ランタンフェスティバルの始まり

林敏幸さん

大成功の長崎「旅」博覧会から2年後、全国的に知られることとなる「ハウステンボス」が始動した。
これは長崎県にとっていい意味になる予定だった。しかし蓋を開けてみればハウステンボスの独り勝ちで、「旅」博覧会の反動も加わり、長崎市内の宿泊客が激減したのだ。
商工会議所観光部会は、緊急な対策を要すると考え会議を行い、青年部に取りまとめを依頼。林氏を座長に十名ほどのメンバーを集め討論し、「光の街長崎」の提言書を商工会議所から市役所に提出した。市役所も同じ危機感を持っており、「イルミネーションイン長崎」を企画していた。民間も行政も考えることは同じで、宿泊者を増やすには夜の演出を行い、観光客に泊まってもらう必要性があったのだ。
そんなとき、市のある職員の「寒い2月ごろに中華街でなんかしよるらしか…」の一言で、市役所がこの「春節祭」に注目することになる。

ランタンフェスティバル当時のスナップ

長崎市内には、狭いながらも崇福寺はじめ興福寺、眼鏡橋など多くの中国遺産が残されている。先人たちがこの貴重な財産を残してくれたからこそ、この町でしかできない祭りができたと林氏は語る。

林氏は、観光客を呼び込むほどこの祭りを大きくしようなどとは夢にも思っておらず、思いがけない話に心は揺れ動いた。中華街振興組合みんなとの話し合いでは、「役所の人たちと我々民間人が一緒に祭りをうまくやっていけるのだろうか?」「春節祭という華僑の大事な文化が、ただの提灯祭りに終わってしまわないのか?それで先代は喜ぶのか?」。みんな不安だったのだ。
林氏は「物事の成功には人の想いが重要である」ということを学んでいた。まずは、役人とも腹を割って話すこと。酒を酌み交わし、中華街の皆と役人と一緒になって幾度となく議論を交わしていった。そして、そろそろ決断を出さなければ…という時期になって、ひとつの想いが固まった。「われわれ民間人も、役人も長崎を想う気持ちは一緒ばい!」と。

長崎市が参画しての長崎ランタンフェスティバルは平成6年の開催に向けて動きだした。林氏は長崎ランタンフェスティバル実行員会の企画幹事会の幹事として近隣の商店街を説得して回った。
ある商店街組合からは「提灯が町のストリートに合わない」「2月はバレンタイン商戦だから無理ばい」など反応は冷ややかだった。それでも足を何度も何度も運び、最後に皆から「よし、気持ちは十分に分かった。
ここまで言わすとだけん1回付き合ってやろう!」と青年会議所で共に活動していた浜市商店街の仲間から賛同を得たのだ。
「私はあの時のことは一生忘れません。事務所から帰ってくるとき、あまりの嬉しさに涙が止まりませんでした。」そして林氏は言う。「人と人との繋がりがこの祭りを繋げている」と。


100年を超える年中行事にするということ。

林敏幸さん

林語録

●長崎にはよそ者を拒まない
 DNAがある
●人の心を動かすのもまた人の心
●最初から行政頼みでやってもダメ
●自分たちの手でやっていくこと
 の重要さ
●市民も一緒になって観光客を
 もてなすこと
●発想が大切。できないことも一つ
 一つ解決して実現化すること
●何事もいっぺんは無理。ねばり
 強く説得すること

平成21年、春節祭から数えて長崎ランタンフェスティバルは第22回を迎えた。回数は数えたが、これまでの道のりはそう容易くはなかった。
同じようなイベントを繰り返してもリピーターは来ない。もっと魅力ある内容にするため、中国やシンガポールなど率先して現地を視察した。
イベントのメインであるランタンの設置も年を追うごとに増やし、今では1万5000個を誇る。
毎年、その年の干支にちなんだオブジェも中国へ発注し話題を呼んだ。
イベントも龍踊り、中国獅子舞、中国雑技、胡弓など内容を充実させ、皇帝パレードに乗り込む人も有名人の起用など工夫を凝らし、会場や規模を拡大していったことが、成功と発展の要因になっている。

ランタンフェスティバル当時のスナップ

新地中華街に隣接する湊(みなと)公園がメイン会場。中国から買い付けたオブジェが冬の夜空に煌めく。

規模を拡大していくには、それなりのスタッフも必要になってくる。
民間人は年を重ねるごとに要領を得ていくが、数年ごとに部署が変わる役人はほぼ毎年新米である。それでも林氏は、携わってきてくれる人々こそが財産と、丁寧に指導する。
それがいつしか、「部署が変わってもランタンフェスティバルを支えたい!」という人を生み出し、今では観光課と言わずいろんな部署が集まって手伝ってくれている。
林氏は言う「みんなが参加して支えてくれるからこのイベントは成功しているのです。」と。
そして、彼ら経験者が次の世代へと引き継いでくれる。いろんな人がこのイベントを自分たちのものにしてくれる。それはいつか100年を超える「年中行事」へとなっていくのだ…と。

問合せ先

中国料理館 会楽園
長崎県長崎市新地町10-16
電話:095-822-4261
ホームページ:
長崎 中国料理館 会楽園
長崎ランタンフェスティバル