133件ありました
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江袋教会
2007年に火災にあうが、大正末期の姿に復元された教会
五島列島
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大浦教会
長崎
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半泊教会
アイルランドの守護聖人に捧げられた小さな教会
五島列島
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植松教会
禁教下、キリシタンが姿を消した大村藩城下。明治20年代、竹松郷にクザン司教らが土地を購入し、孤児院兼教会が設営された。そこへ浦上、出津、黒崎、黒島などから信徒が移住。しかし第2次世界大戦で土地は軍に買収され、教会は徳泉河内郷に移転。戦後、植松に移り、現教会が1975年に建つ。
諫早・大村
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楠原教会
リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会
五島列島
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八幡町教会
八幡町教会堂
長崎
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貝津教会
色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会
五島列島
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福見教会
レンガ造りの教会堂としては珍しい日本的な格組折上天井をもつ。
五島列島
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崎津教会
キリシタンが潜伏していた崎津には、1880年から宣教師がきている。1928年から主任…
島原・雲仙・南島原
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浜串教会
白壁の教会
五島列島
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曽根教会
東の五島灘、西の東シナ海を望む地に建つ教会
五島列島
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大水教会
幹線道路から外れ、東シナ海を望む急斜面に建つ教会
五島列島
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大山教会
大山は、外海の黒崎村のキリシタンが、1844~1847年の頃、移住開拓したという地。大浦での信徒発見後、大山の信徒も信仰を表明し、明治のキリシタン迫害で、佐賀の牢へ4名が送られた。迫害が終わって1880年頃建立の初代教会堂に捧げられた「絶えざる御助けの聖母」の絵が、4代目の現在も掲げられる。熊ヶ峰へ向かう途中の竹林を抜けると集落がある。
長崎
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本河内教会
ポーランドから長崎にきたコルベ神父が、大浦から移って1931年に開いた。
長崎
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丸尾教会
鉄川与助の生誕地に建つ白亜の教会
五島列島
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間瀬教会
大島の西側にある太田尾教会の巡回教会で、1957年、大島の炭鉱で働くカトリック信徒のために建てられた、長崎県内で唯一残る畳敷きの教会。
西海
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三ツ山教会
帆場岳の麓の木場は、先祖が、伊達政宗によって派遣された慶長遣欧使節の随行員という伝承をもつ集落。洗礼を受けて禁教下の日本に戻ってきた先祖は、大村領のこの地で農民となって信仰を隠し暮らしてきたという。明治の迫害で信仰を表明した信徒が、大村牢に投獄された。教会堂は、信徒を監視した役人の屋敷跡のそばに建つ。
長崎
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真手ノ浦教会
2010年に建て替えられた教会。
五島列島
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時津教会
長崎市のベッドタウンとして、また工場誘致などで人口が増えた時津町に、1979年、滑石小教区の巡回教会として、鉄工所の鉄骨を生かした26聖人に捧げた現教会が建立された。1981年、時津小教区として独立する。
長崎
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飽の浦教会
長崎
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壱部教会
壱部は生月島北部を治めキリシタン一部氏の旧領の一部で、禁教時代、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年、最初の教会が建てられ、現在地の教会は、1964年に建てられた。
平戸・松浦
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木ヶ津教会
時間がゆっくりと流れる不思議な空間を感じよう
平戸・松浦
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御厨教会
北松炭田に働く信徒のために、田平教会の巡回教会として最初の教会は建つ。1958年、カムストラ神父と35戸の信徒によって、現教会が建立される。
平戸・松浦
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牢屋の窄殉教記念聖堂
弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地
五島列島
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樫山教会
1920年に黒崎教会を完成させ、1934年に天草の崎津教会を建てるハルブ神父が、1924年、西樫山に、実費で建てた。
長崎
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青方教会
2000年に現在の教会堂に建て替えられた。
五島列島
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跡次教会
青方湾を見下ろし、洋上石油備蓄基地を一望でき、夕日に映える教会
五島列島
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太田尾教会
1929年に信者たちの手によって海を見晴らす斜面に建てられたゴシック様式の教会
西海
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東長崎教会
長崎
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愛宕教会
長崎
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大加勢教会
聖堂内のステンドグラスは外観とのギャップに驚きます
佐世保・東彼杵・ハウステンボス
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香焼教会
長崎
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湯江教会
1960年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会が、養護老人ホームの施設をつくり、同年、湯江修道院を建立し、1971年、修道院と教会が独立した建物となる。
諫早・大村
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滑石教会
長崎
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古江教会
古江湾の入口の小富士山の麓の集落にある1899年に建てられた教会、外観は民家のようだが、内はかつては、祭壇部分がこうもり天井の本格的な教会だった。1990年に改装されている。
平戸・松浦
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平戸口教会
ひっそりとたつ小さな教会。
平戸・松浦
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壱岐教会
教会史料にYuquinoxima(ユキノシマ)と記される平戸領の壱岐島でも殉教があり・・・
壱岐
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西木場教会
西木場は、明治中期、田平を目指して黒島や五島などからきた信徒が、落ち着いた地。田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造して教会とした。1949年、聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念事業として現教会が、鉄川組の設計で建てられた。
平戸・松浦
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雲仙教会
受難のキリシタン史を伝える雲仙には、1981年現教会が建てられる。島原に生まれ、1614年の禁教令発令後も司祭として残り、広島で捕えられ、雲仙地獄で拷問を受け、西坂で殉職したアントニオ石田と雲仙の殉教者に捧げられている。
島原・雲仙・南島原
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愛野教会
愛野教会は、1951年、スカボロ会(中町教会再建を援助したフレーザー神父が設立)によって創設され、1970年から諫早教会の巡回となるが、1974年からサレジオ会に任され、今日に至る。1590年のフロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、現教会がある一帯を指すらしい。
島原・雲仙・南島原