このページは共通メニューを読み飛ばして直接本文をご覧になることができます。直接本文をご覧になるかたは「本文へ」をクリックしてください。
本文へ


HOME教会めぐりモデルコース紹介 > 長崎コース(所要時間目安)

教会めぐり

長崎コース(所要時間目安)

Google Mapの読み込みが上限を超えた場合、正しく表示されない場合がございますので、ご了承ください。

※モデルコースは1日かけて巡るかなりハードなコースです。教会や資料館などの滞在時間を考慮して、自分なりにゆとりをもって調整しましょう。

2 十字架山

十字架山

浦上四番崩れの流配から戻った浦上の信徒は、絵踏みをしたことを罪として償い、そして信仰を表明できることに感謝して、1881(明治14)年、当地の丘を購入して十字架を建てた。

所在地 852-8124 長崎県長崎市辻町
交通アクセス 平の下停留所から徒歩10分
詳細 詳しい情報はこちら

3 如己堂

如己堂

如己堂は、永井隆博士の病室兼書斎です。

 

原爆で無一文となった浦上の人々が博士のために建てたこの建物を博士は“己の如く隣人を愛せよ”という意味から“如己堂(にょこどう)”と名付け2人の子ども達と共に暮らしました。

 

北側の壁に香台、本棚を取り付け、その下に幅2尺長さ6尺の寝台を置き、寝たきりの博士は執筆にはげまれました。

 

永井隆博士が記した著書のテーマは原爆、人間、愛、平和……いずれも博士自らの体験をもって後世に伝えておきたいと願ったメッセージ性に富んだ作品ばかりで、なかでも『長崎の鐘』『この子を残して』は名高い作品です。

 

現在この如己堂は、多くの人に受け継がれている永井隆博士の恒久平和と隣人愛の精神の象徴となっています。

所在地 852-8113 長崎県長崎市上野町22-6
内覧時間 9:00~17:00
拝観料・入場料 如己堂:無料 永井隆記念館(展示室1階):一般100円、小・中・高校生は無料
駐車場
交通アクセス JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)で大橋電停下車、徒歩10分。
詳細 詳しい情報はこちら

4 浦上教会

浦上教会

浦上教会(浦上天主堂)は、1873年、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって建設が計画されました。

 

ところが資金がなかなか集まらず、20年余りの時を経た1895年にようやくフレノ神父の設計による教会の建設が開始され、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。


正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、1945年、原爆により建物は破壊され、アンジェラスの鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。

 

現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。

 

周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

所在地 852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79
内覧時間 9:00~17:00
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
交通アクセス バス:天主堂下・センター前・神学校前停留所から徒歩1分 路面電車:平和公園電停から徒歩8分
詳細 詳しい情報はこちら

5 サンタ・クララ教会堂跡

サンタ・クララ教会堂跡

1603年にポルトガル船員らが建てた教会堂の跡です。この教会を守っていた孫右衛門という人物が宣教師がいなくなった後、潜伏しながら信仰を続けるための帳方や水方をおいた共同体を作ったそうです。孫右衛門はリーダー(帳方)の1代目となりました。

所在地 852-8134 長崎県長崎市大橋
交通アクセス 大橋電停から3分
詳細 詳しい情報はこちら

6 秘密教会堂 聖フランシスコ・ザベリオ堂跡

秘密教会堂 聖フランシスコ・ザベリオ堂跡

1614年、徳川家康の禁教令発布から250年後の1865年3月17日大浦天主堂における劇的な信徒発見当時も幕府の厳しいキリシタン禁令は続いていました。
浦上のキリシタン達は当時4つの秘密教会を設け、大浦天主堂の巡回教会として密かに神父を迎え、洗礼を受け教理の勉強をしていました。この地がその1つである聖フランシスコ・ザベリオ堂跡です。
1867年7月15日午前1時、幕府の捕方が押し入り、泊っていた守山甚三郎と松田喜助は捕らえられ、各地で捕らえられた68名の信徒と共、桜町の牢に打ち込まれることとなり、これが浦上4番崩れとつながり、1868年6月1日を初めとして中心人物114名が、萩、津和野、福山へ流されました。
250年にも及ぶ禁教と迫害の中で、信仰伝承を成し遂げた彼らの心が末永く人々の心の中に生き続けることを願って、信徒発見125周年の記念に説明板も建てられています。
 

所在地 852-8114 長崎県長崎市橋口町(如己堂と平和公園の中間)
交通アクセス JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)で大橋電停下車、徒歩8分。
詳細 詳しい情報はこちら

7 平和公園(原爆落下中心地)

平和公園(原爆落下中心地)

昭和20年(1945)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられており、園内には被爆当時の地層も残されていますが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。

原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽されたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が芽吹きました。この爆心地周辺も今ではすっかり緑に囲まれ、かつての惨状を思い浮かべるとその逞しい復興の力を感じることができます。

公園の周囲には桜の木が植えられ、桜の季節をはじめ、日頃から緑に囲まれた憩いの空間として親しまれています。

所在地 852-8118 長崎県長崎市松山町
交通アクセス JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)利用15分、「平和公園」電停から徒歩1分
詳細 詳しい情報はこちら

8 サン・ラザロ病院跡(山王神社)

サン・ラザロ病院跡(山王神社)

長崎駅近くの本蓮寺にあったサン・ラザロ病院と別に、浦上村のイエズス会経営のハンセン病を扱うサン・ラザロ病院がありました。26聖人は刑場へ向かう途中でここの付属教会に立寄って、別れを告げに来たポルトガル人や信者と会い、2人がイエズス会の修道士となって、西坂の処刑場へ向かいました。

所在地 852-8106 長崎県長崎市岩川町
交通アクセス 路面電車、大学病院電停から徒歩5分
詳細 詳しい情報はこちら

9 日本二十六聖人殉教地(西坂公園)

日本二十六聖人殉教地(西坂公園)

豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。

キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。

戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。
26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。

所在地 850-0051 長崎県長崎市西坂町7-8
交通アクセス JR長崎駅から徒歩5分
詳細 詳しい情報はこちら

10 聖フィリッポ・デ・ヘスス教会

聖フィリッポ・デ・ヘスス教会

二十六聖人のひとりで、メキシコ人フランシスコ会修道士聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。
メキシコから送られた浄財によって、浦上街道を挟んで西坂公園と反対側に建築家・今井兼次設計で、記念館とともに建てられた双塔の教会。

所在地 850-0051 長崎県長崎市西坂町7‐8
交通アクセス JR長崎駅から徒歩5分
詳細 詳しい情報はこちら

11 中町教会

中町教会

島内要助神父は、殉教の歴史をもつこの地に、日本人のための教会を建てようと志し、苦労の末に1889年の暮、キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて教会設立した。

教会はフランスのパピノー神父の設計で1891年8月より建設に着手、1897年9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行された。
教会建設にあたっては、フランスのある婦人の当時の金額で8万フランにものぼる寄付や、多数の恩人の協力があった。

1945年8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、1951年10月、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され現在に至る。
そのため、貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けており、教会の門の側に銘版が設置されている。


所在地 850-0055 長崎県長崎市中町1‐13
内覧時間 9:00~17:00(※但し、①ミサ、冠婚葬祭時には不可の場合もあります。 ②閉まっている場合もあります。)
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
駐車場 有(※但し、ミサ時は一般観光客使用不可。)
交通アクセス JR長崎駅から徒歩6分
詳細 詳しい情報はこちら

12 春徳寺(トードス・オス・サントス教会堂跡)

春徳寺(トードス・オス・サントス教会堂跡)

1650年、当寺開山泰室清安が梵鐘1口を造った。

施主は枝村郎兵衛尉重勝、鋳工は江戸御花入屋閑人、銘は元1569年、大村純忠の家臣でキリシタン長崎甚左衛門がイエズス会に与えた土地に建った長崎で最初の教会堂。こちらが焼き討ちに遭ったので、1603年に新しい教会堂が建てられた。禁教令後、春徳寺が建ち、教会時代の井戸が今も残る。 ※見学には、事前予約が必要です。

所在地 850-0016 長崎県長崎市夫婦川町11-1(春徳寺内)
交通アクセス 中川町停留所から徒歩7分
詳細 詳しい情報はこちら

13 サント・ドミンゴ教会跡資料館

サント・ドミンゴ教会跡資料館

1609年、ドミニコ会のモラレス神父は、鹿児島を逃れるとき教会堂を解体して、長崎代官・村山等安が寄進した土地に建てた。この時代の石畳や地下室、その後建てられた代官屋敷時代の井戸などが、小学校の建て直しの際の発掘ででてきた。公開中。

所在地 850-0028 長崎県長崎市勝山町30‐1(桜町小学校内)
内覧時間 9:00~17:00
拝観料・入場料 無料
交通アクセス 路面電車、桜町電停下車徒歩2分
詳細 詳しい情報はこちら

14 岬の教会(サン・パウロ教会)跡/被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)跡

岬の教会(サン・パウロ教会)跡/被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)跡

長崎が開港された翌年の1571年、イエズス会宣教師のフィゲイレド(ポルトガル)は、町ができた岬の突端に「岬の教会(サン・パウロ教会)」を建てた。
 
さらに、新教会堂を増築中に秀吉の命で解体されたが、その後も増改築や建て替えを繰り返し、1601年、長崎で一番大きな「被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)」、同じころに司教館、コレジヨなどの建物が建てられ、教会堂は日本司教が着座する司教座聖堂となった。
また、これ以前の1593年には、日本イエズス会本部が置かれている。
 
16世紀後期から17世紀初頭にかけて、長崎には多くの教会堂が建てられ、南蛮貿易の中心地として、その繁栄ぶりはさながら「小ローマ」のようだと伝えられたが、1614年、徳川幕府の禁教令により、岬に建つ教会を含むほとんどの教会堂が破壊され、キリシタンの町並みは姿を消した。

後に、1633年に長崎奉行所西役所、1855年に海軍伝習所、1857年に医学伝習所が設けられ、1874年に長崎県庁(2018年移転)と、この地には代々重要な施設が置かれた。
 
旧長崎県庁舎跡地には、「イエズス会本部跡」「奉行所西役所」「海軍伝習所」の碑が建てられ、入口付近には3つの施設を紹介した案内板がある。

※旧県庁舎跡地埋蔵文化財調査(~2025年度予定)の状況によっては、碑が見れない場合もあります。

所在地 850-0861 長崎県長崎市江戸町2-13(旧長崎県庁)
交通アクセス 大波止電停より徒歩3分
詳細 詳しい情報はこちら

15 本河内ルルド

本河内ルルド

コンベンツアル聖フランシスコ会のコルベ神父は1930年に長崎にきて聖母の騎士修道院を作り、6年後に祖国ポーランドにもどるが、アウシュビッツの収容所で身代わりとなってなくなった。コルベ神父がフランスのルルドに似た洞窟を本河内の修道院の近くに見つけ、神父がポーランドへ帰国後、ルルドができた。1981(昭和56)年来日の教皇ヨハネ・パウロ2世は同郷のコルベ神父ゆかりの本河内を訪れ、1982年にコルベ神父は聖人となり、ルルドは神父ゆかりの巡礼地となった。下には、コルベ神父と神父と共に来たゼノ修道士の功績を紹介する聖コルベ記念館がある。

所在地 850-0012 長崎県長崎市本河内2‐2‐1(本河内教会堂左横の石段をあがる)
交通アクセス 蛍茶屋電停から徒歩約15分。
詳細 詳しい情報はこちら

16 聖コルベゆかりの暖炉

聖コルベゆかりの暖炉

1930年、ポーランドから来日したコルベ神父が長崎で最初の拠点とした大浦の洋館の赤煉瓦の暖炉。火事の時に焼け残り、現在、南山手町聖コルベ記念館に保存中。

所在地 850-0931 長崎県長崎市南山手町2‐6(大浦天主堂下の坂の途中に案内あり)
拝観料・入場料 入場無料
交通アクセス 大浦天主堂下電停から徒歩2分
詳細 詳しい情報はこちら

17 大浦天主堂

大浦天主堂

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。


また、建立直前に列聖された日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。

設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。

 

1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。

この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。


1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。

1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。

また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。

 

Googleストリートビューはこちら

所在地 850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
内覧時間 8:00~18:00(拝観受付は閉館15分前に終了)
拝観料・入場料 大人/1,000円 中高生/400円 小学生/300円
※団体割引有(20名様以上)
交通アクセス JR長崎駅前から路面電車(崇福寺行に乗車し新地中華街電停で乗換えて石橋行に乗車し大浦天主堂電停下車)利用20分、徒歩5分
詳細 詳しい情報はこちら

18 善長谷教会

善長谷教会

善長谷は1823年に外海・東樫山から移住したキリシタンの子孫が住む山里。1883年には1家族を残してカトリックとなり、1895年に教会ができた。

所在地 851-0302 長崎県長崎市大籠町519
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
交通アクセス 深堀教会堂から車10分
詳細 詳しい情報はこちら

19 神ノ島教会

神ノ島教会

佐賀藩の神ノ島には、江戸前期からキリシタンが潜伏し、江戸後期には、砲台築造の人夫として外海からきたキリシタンらが移り住んでいたという。1876年には仮聖堂が建って多くの潜伏キリシタンがカトリックになった。1897年にデュラン神父が私財を投じ現教会を建てた。

所在地 850-0078 長崎県長崎市神ノ島町2‐148
内覧時間 9:00~17:00(※但し、①ミサ、冠婚葬祭時には不可の場合もあります。 ②閉まっている場合もあります。)
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
交通アクセス 神ノ島教会下停留所から徒歩3分
詳細 詳しい情報はこちら

20 岬の聖母像

岬の聖母像

ザビエル渡来400年を記念して、1948(昭和23)年に、1.7mの聖母像が建てられ、現在の4.7mの聖母像は、1984(昭和59)年に建てられた2代目の像。長崎港の入口で岩の上から航海の安全を見守っている。

所在地 850-0078 長崎県長崎市神の島町
交通アクセス 神ノ島教会堂下
詳細 詳しい情報はこちら

23 馬込教会

馬込教会

禁教令下の1871年、馬込に信徒が建てた小聖堂。1884年、馬込の信徒がすべてカトリックとなり、1890年にマルマン神父の設計のレンガ造教会ができるが、台風で尖塔が倒れ、1931年、現教会建立。

所在地 851-1201 長崎県長崎市伊王島町2丁目617
内覧時間 9:00~17:00(※但し、①ミサ、冠婚葬祭時には不可の場合もあります。 ②閉まっている場合もあります。)
拝観料・入場料 無料(※献金箱にご寄付をお願いします。)
交通アクセス 船津港から徒歩10分
詳細 詳しい情報はこちら

■ながさき巡礼についてのお問い合せ

長崎巡礼センター [住所]長崎市尾上町1-88 長崎バス観光案内所2階 [TEL]095-893-8763

ページトップへ

閉じる 閉じる