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HOME法人・団体向けサイトロケ・撮影映画「母と暮せば」 > ロケ地巡り

映画「母と暮せば」

ロケ地巡り

エリア
長崎

やさしくて、悲しい。山田洋次監督初のファンタジー。

映画「母と暮せば」 ロケ地めぐり

1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二がひょっこり現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出てこられなかったんだよ」。その日から、浩二は時々伸子の前に現れるようになる。二人はたくさんの話をするが、一番の関心は浩二の恋人・町子のことだった。「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」。そんなふたりの時間は、奇妙だったけれど、楽しかった。その幸せは永遠に続くようにみえた―。母親・伸子役に吉永小百合、息子の浩二役に二宮和也、浩二の恋人・町子役には黒木華という理想的なキャスティングで山田洋次監督が初めてつくる、やさしく泣けるファンタジー作品です。

出演/吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、加藤健一
監督/山田洋次脚本/山田洋次・平松恵美子
製作/「母と暮せば」製作委員会制作・配給/松竹株式会社

映画「母と暮せば」ロケ特集ページ
http://www.nagasaki-tabinet.com/houjin/film/detail/5/


2泊3日
スタート
【1日目】10:30

長崎空港

世界初の海上空港


車で1時間30分 
【1日目】12:00

ロケ地:黒崎教会堂

長崎ロケ、クランクイン!

明治30年(1897)にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、同32年(1899)から建設計画が進行、大正9年(1920)に完成した、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ教会。
 
聖堂は信徒が奉仕と犠牲の結晶として一つひとつ積み上げたレンガで造られている。煉瓦造、平屋、桟瓦葺(さんかわらぶき)の簡素な構成が煉瓦の美しさを際立たせており、深い奥行を持つ内部はリブ・ヴォールト天井と呼ばれ、ステンドグラスが印象的。付属する鐘楼は隠れキリシタンの帰依を願って設置されたもの。
 
※教会内は一般公開されていますが、見学には十分配慮をお願いいたします。

車で5分 
【1日目】13:00

道の駅 夕陽が丘そとめ

ランチはここで!

道の駅夕陽が丘そとめは、長崎市の北部に位置する市内で初めての道の駅。
道の駅には遠藤周作文学館が隣接しており、車を停めて角力灘(すもうなだ)に浮かぶ島々や出津文化村の素晴らしい風景を満喫できるスポットです。
ここからの夕陽の眺めは長崎屈指の美しさといわれ、晴れた日には五島列島を遠望することもできます。
道の駅の物産館では、地域の農林水産物、ド・ロ様そうめんなどの特産品、工芸品を販売しており、レストランでは地産地消による地元産品を食材とした田舎料理や姉妹都市ヴォスロール地方の家庭料理などもあります。

車で10分 
【1日目】14:30

出津教会堂

世界遺産候補!

1879(明治12)年に潜伏キリシタンが多かった外海の出津・黒崎地区に赴任し生涯を外海に捧げたド・ロ神父は、風の強い斜面の台地に、1882(明治15)年、私財を投じて建てた質実剛健な教会堂。
 
※出津教会堂の見学は原則として
長崎の教会群インフォメーションセンターへの事前連絡が必要です。
団体:http://kyoukaigun.jp/download/
個人:http://kyoukaigun.jp/contact/
 

車で15分 
【1日目】15:30

大野教会堂

世界遺産候補!

大野は、1599年の平戸領主松浦氏の弾圧で長崎に亡命したキリシタン籠手田一族にゆかりあると伝えられる地。1893年、信徒のためにド・ロ神父が設計し、私財を投じて信徒とともに石造りの教会を建てた。




◆大野教会堂の見学は
 


車で1時間 
【1日目】17:00

神ノ島教会

港町に輝く白亜の教会堂

佐賀藩の神ノ島には、江戸前期からキリシタンが潜伏し、江戸後期には、砲台築造の人夫として外海からきたキリシタンらが移り住んでいたという。1876年には仮聖堂が建って多くの潜伏キリシタンがカトリックになった。1897年にデュラン神父が私財を投じ現教会を建てた。

1日目宿泊 
【2日目】9:00

長崎原爆資料館

原爆の脅威と平和の尊さを体感できる施設

昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域に原子爆弾が投下され約15万人の人々が命を落としました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されています。
原爆直後と現在の長崎の風景写真を比較すると、目覚ましい勢いで復興した長崎の街と、長崎市民の逞しさが伝わってきます。「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とはいえない現在の世界情勢。各展示物に正面から向き合うと同時に“悲惨な歴史”を受け止め、真の平和について考えてみてください。
原爆・平和関係の図書閲覧ができるほか、ビデオコーナーを設置した図書室も併設しています。

徒歩3分 
【二日目】11:00

平和公園(原爆落下中心地)

悲しみの原点、グラウンド・ゼロ

昭和20年(1945)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられており、園内には被爆当時の地層も残されていますが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。
 
原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽されたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が芽吹きました。この爆心地周辺も今ではすっかり緑に囲まれ、かつての惨状を思い浮かべるとその逞しい復興の力を感じることができます。
 
公園の周囲にも約500本の桜の木が植えられ、桜の季節は花見の地、また日頃から緑に囲まれた憩いの空間として親しまれています。

徒歩5分 
【2日目】11:30

平和公園(平和祈念像・平和の泉)

原爆犠牲者の冥福と平和を願う祈りの空間

原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。


「平和祈念像」
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。

「平和の泉」
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉で、平和公園の一角、平和祈念像の前方にあります。直径18メートルで昭和44年に完成しました。平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。

徒歩10分 
【2日目】14:00

浦上教会

弾圧に苦しんだ浦上信徒が築いた教会

浦上天主堂の建設計画は、明治6年(1873)、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって行なわれました。ところが資金がなかなか集まらず、20年余りの時を経た明治28年(1895)、やっとフレノ神父の設計による教会の建設が開始し、大正3年(1914)に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。

正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、昭和20年(1945)、原爆で建物は破壊され、アンジェラスの鐘も鐘楼とともに崩れ落ちました。現在の建物は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートで再建されたもので、昭和55年(1980)、レンガタイルで改装し、往時の姿に復元されました。周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えた一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。

徒歩7分 
【2日目】15:00

長崎大学坂本キャンパス

浩二が通っていた旧長崎医科大学 

長崎大学坂本キャンパスは、かつては長崎医科大学でした。
爆心地から約600メートルという至近距離にあったため全壊全焼し、学生・教職員890名あまりが死亡しました。敷地内には、爆風で傾いたままの旧医科大学の正門門柱、被爆建築物「旧配電室」が保存され、被爆の実相が学べます。

徒歩10分 
【2日目】16:00

一本柱鳥居(山王神社)

原爆の脅威を伝える一本柱鳥居

日本二十六聖人殉教地へと続く浦上街道沿いにある明治元年(1868)創立の山王神社は、爆心地から南東約900mの場所の高台にあり、原爆の被害を受けました。社殿は跡形もなく崩れましたが、昭和25年(1950)に再建され今に至ります。

山王神社の参道には、一本柱鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居がありますがもともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけが片方の柱を残し今も同じ場所に立っているのです。左片方の柱の残骸は、一本柱鳥居の奥に置かれ見ることができ、また境内には被爆したクスの木が残っています。どちらも原爆の脅威がヒシヒシと伝わる貴重な資料です。

2日目宿泊 
【3日目】10:00

ロケ地:長崎電気軌道 浦上車庫前電停

浩二が電車に飛び乗るシーンを撮影

長崎電気軌道の本社がある電停。

※通常構内には入れません。

路面電車9分(茂里町駅降車)
駅から徒歩5分 
【3日目】11:00

ロケ地:長崎ブリックホール

600人近いエキストラが参加!

多彩な感動シーンを生み出す長崎の文化芸術拠点であり、市民相互の交流窓口として機能する情報発信と国際交流の場。
ここではエンディング合唱シーンの撮影が行われました。

路面電車21分(築町にて乗り換え) 
【3日目】14:00

石橋電停

浩二が乗った設定の石橋電停

映画では、石橋電停の 近くに浩二と伸子が住んでいたという設定でした。

徒歩2分 

グラバースカイロード

坂が多い長崎ならではの斜行エレベーター

グラバー園をがある南山手の斜面地を運行する斜行エレベーター。丸窓からは長崎のシンボルとも呼べる長崎港と稲佐山をセットで眺めることができます。宝石をちりばめたような美しい夜景も要チェック。

斜面都市の眺め

異国情緒たっぷり、これぞ南山手エリア

海を見下ろす展望のよい丘に位置する南山手エリア。幕末から明治にかけて外国人が住んでいた貴重な洋風住宅のほか石畳やオランダ溝も残っており、当時の雰囲気を今に伝えています。

徒歩5分 
【3日目】14:30

グラバー園

長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地

「グラバー園」は、 国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。

園内は長崎独特の坂の地形のため、動く歩道、エスカレーターを設け、壁泉・石畳による回遊道路をめぐらし、異国情緒あふれる観光名所としてたくさんの人々に親しまれ、年間100万人以上の観光客が訪れています。

長崎港、稲佐山をはじめとする緑したたる山々、人々の息づかいが感じられる街並み。偉人たちも魅せられた絶景が広がるとびきりのビュースポットでもあります。

特に、旧三菱重工造船所第2ドックハウスのベランダからの景観は圧巻で港内を行き交う船の音が間近に聞こえてくる旧リンガー住宅前庭や、旧グラバー住宅前からの景色もオススメです。

また園内には至る場所に花々が配され、いつ訪れても四季折々の花々を愛でる喜びを味わうことができます。

園内にあるハートストーンは「カップルでこの石に手を重ねると幸せになれる」「この石に触れて願いごとをすれば恋が叶う」などいずれも恋愛に関する伝説を持ち、パワースポットとして人気急上昇中です。

徒歩5分 
【3日目】16:00

大浦天主堂

世界の宗教史上に残る劇的な「信徒発見」の舞台

幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会堂です。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。

西坂の丘で殉教した二十六聖人へ祈りを捧げるために建てられたため、正面は西坂の丘に向けられています。

設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。元治元年(1864)末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない劇的な「信徒発見」の舞台となりました。

明治8年(1875)と同12年(1879)の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が温存されています。

また1933(昭和8)年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953(昭和28)年、日本最古の教会堂として国宝に再度指定されました。

ゴール

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