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1657年対馬生まれで、対馬の猪鹿追詰を指導して8万頭を退治、1732年に没した。

陶山訥庵の墓

エリア
対馬 
テーマ
史跡・文化財  
  • 1657年対馬生まれで、対馬の猪鹿追詰を指導して8万頭を退治、1732年に没した。
  • 1657年対馬生まれで、対馬の猪鹿追詰を指導して8万頭を退治、1732年に没した。
  • 1657年対馬生まれで、対馬の猪鹿追詰を指導して8万頭を退治、1732年に没した。
耕地の少ない対馬は、昔から猪の害が多く農民は食糧不足に悩まされてきました。
当時、郡奉行となった訥庵は農政の改革、農業振興を図ったなかで、有名な「猪退治」といわれた猪鹿追詰を断行しました。 さらに訥庵は、農民による島土防衛構想を持っていたとも言われています。泰平の世に生きる島内の武士だけでこの広い島を守ることは不可能であるため、島内で銃を生産し、訓練された農民が対馬の深い山を利用してゲリラ作戦を行うしかない、と訥庵は考えていたようです。軍事訓練だけ行うと、謀反の疑いをかけられ、藩が取り潰されるおそれがあるため、イノシシ退治を隠れみのとして利用したのです。また晩年は著述に没頭し、農政、経済、儒学、文学、歴史、交隣に関する見識の高い著作を遺しています。
死後しばらくは評価の定まらなかった訥庵ですが、次第に島人の尊崇を集めるようになり、対馬聖人として称えられるようになりました。その偉大な功績を称え、修善寺に墓が建てられました。市指定記念物に指定されています。

住 所 〒817-0024 長崎県対馬市厳原町大手橋1107
電話番号 0920-52-1274 ((修善寺))
料 金 無料
定休日
ホームページ 『陶山訥庵の墓』についてのホームページはこちらへ
交通アクセス 厳原港から車で約4分