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応仁2年(1468)、国府に居館を構えさせた宗貞国は、弟の甫庵宗睦に命じ、国分寺を復興させました。

国分寺(山門・木像薬師仏)

エリア
対馬 
テーマ
史跡・文化財 神社・仏閣  
  • 応仁2年(1468)、国府に居館を構えさせた宗貞国は、弟の甫庵宗睦に命じ、国分寺を復興させました。
天平13年(741)、聖武天皇により国毎に国分寺・国分尼寺が造られました。対馬は大宝元年(701年の令制施行により国を「島(とう)」と改められたので、国分寺と言わず「島分寺(とうぶんじ)」といいます。この島分寺が天安元年(857)の変により炎上しました。

応仁2年(1468)、府中に居をかまえた宗貞国は、弟の甫庵宗睦に国分寺の国分寺の復興を命じましたが、いつ落成したのかは不明で、この時再建した場所は、室町・戦国時代の瓦の出土状況から古代島分寺跡の山際であったと推定されています。

規模を縮小して山際に再建されていた国分寺は、寛文5年(1665)宗義真が金石屋形を拡張した際に日吉へ移されました。さらに天和3年(1683)、以酊庵と振り替わって天道茂(てんどうしげ)に移り、現在に至ります。

江戸時代、国分寺は朝鮮通信使来聘に際し客館として使われました。享保17年(1732)の府中大火で堂塔を焼失したが再建され、文化8年(1811)の朝鮮通信使の対馬来聘に際し、客館となる本殿と山門の改築が行われました。明治に客館は解体されましたが、その跡地は今も残っていて字名を客館といいます。

また国分寺の山門は、対馬随一の四脚門(よつあしもん)で、文化4年(1807)に建立され、平成4年(1992)に町の有形文化財に指定されました。
 

住 所 〒817-0014 長崎県対馬市厳原町天道茂480
電話番号 0920-52-1243
ホームページ 『国分寺(山門・木像薬師仏)』についてのホームページはこちらへ
交通アクセス 厳原港から車で約5分

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