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Vol.1 龍馬塾開設!

龍馬塾開設!長崎と龍馬のすべてを紹介!

「長崎はわしの第2のふるさとやき!」

坂本龍馬

塾長の坂本龍馬じゃ。このたび、龍馬塾を開設したのはほかでもない、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、日本の夜明けを導いた長崎と龍馬のかかわりを分かりやすく紹介したいと思ったからじゃ。
坂本龍馬と長崎の結びつきは実に深い。長崎はわしにとって翼を与えてくれた土地、未来への架け橋となった場所である。龍馬と長崎が、明治維新をもたらしたと言う人もおる。そのわけを分かりやすく説明するぜよ。こんまいことも大きいことも何でも聞いてや!

龍馬の姉、坂本乙女です!

坂本乙女

副塾長の坂本乙女です。龍馬の姉で、こどものころから、はちきん(おてんば娘)で「坂本のお仁王様」と呼ばれております。自分で言うのも何ですが、文武両道に優れて、まっこと男に生まれたら明治維新に大きゆ働きができたと思ちょります。
小さい頃は泣き虫で、よばれ(寝小便)タレの弱虫だった龍馬を文武両道で鍛えたがはこの姉でござります(スパルタで特訓したがです。よう泣きよったが)。
龍馬のことならも何でも知ちゅうき、一緒に長崎とのかかわりを勉強いたしましょう!

龍馬の長崎以前プロフィール

誕生日 天保六年(1835)11月15日、高知城下本庁筋に兄と3人の姉の5人兄弟の末っ子として生まれる。坂本家は本家が才谷屋という豪商で、郷士の株を買い分家した家柄で、貧しい家が多い郷士の中では別格といっていいほどに裕福だったという。
身分制度 土佐藩の身分制度は上士と下士(郷士)に分かれていて、その差別は厳しく、成長するに従って龍馬はその制度に反発を感じるようになる。
北辰一刀流 19歳になった龍馬は藩の許可を得て、江戸へ剣術修行に出る。京橋桶町の北辰一刀流・千葉道場に入門、一途に剣術修行に打ち込む。安政五年(1858)、北辰一刀流長刀兵法目録を受ける。
黒船 嘉永六年(1853)6月、鎖国日本の眠りを覚ます大事件が起こる。浦賀に黒船来航。龍馬は品川の藩邸付近の沿岸警備につき黒船を目撃、当時の誰もがそうだったように外国人を追い払う攘夷(じょうい)思想に少しずつ傾倒していく。
脱藩 文久元年(1861)9月、武市半平太率いる土佐勤王党に加盟。しかし、尊王攘夷の過激思想や藩の弾圧、身分の上下が優先する反体制にも嫌気がさして、脱藩を決意。龍馬28歳の選択。
勝 海舟 文久二年(1862)、江戸で幕府海軍奉行並の勝海舟と出会い、門下生に。海外に目を開き、開国を見据えた航海術を学んでいく。
海軍塾 文久三年(1863)10月、勝海舟が神戸に開設した私塾「海軍塾」の塾頭に龍馬が任命される。薩摩藩と会津藩が組んだ政変で尊王攘夷派公家と長州勢が失脚。土佐勤王党への弾圧が始まる。
長崎へ 元治元年(1864)2月、外国連合艦隊の長州への報復攻撃に対する調停のため神戸から長崎へ向かう勝海舟に随行して、初めて長崎へ入る。

武州塩田遠景

武州潮田遠景

ペリーが率いた巨大な蒸気船4隻の図(黒船館収蔵)

坂本龍馬生誕地

坂本龍馬生誕地

(高知市役所提供)

坂本乙女

坂本乙女

乙女は母親(龍馬12歳のときに死去)代わりとなって龍馬の面倒を見た。明治十二年(1879)、48歳没(高知県立坂本龍馬記念館蔵)

和霊神社

和霊神社

脱藩を決意した龍馬は、この神社に詣で、水杯をして、沢村惣之丞とふたりで藩境を越えた(高知市役所提供)

■参考文献

『長崎ノ心、龍馬ノ夢。』(大河ドラマ「龍馬伝」長崎県推進協議会)
『完全保存版 坂本龍馬がゆく』(文藝春秋「くりま」増刊1月号)
『龍馬が見た長崎古写真が語る幕末開港』(姫野順一著、朝日新聞出版)
『竜馬がゆく(全8巻)』(司馬遼太郎著、文春文庫)
『おーい!竜馬(全14巻)』(武田鉄矢・小山ゆう著、小学館文庫)
『猛き黄金の国 岩崎弥太郎(全3巻)』(本宮ひろ志著、集英社文庫)

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