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モデルコース

vol.7 土佐海援隊誕生!

土佐海援隊誕生!

Q 隊長給料が50両って本当?!

A だ、誰から聞いたがじゃ!そうともよ、そのくらいの働きはしちゅうぜよと言いたいところやけんど、亀山社中が赤字経営でのう。本業の海運・貿易の業績が一向に伸びず、薩摩藩の援助を受けて購入したワイル・ウェフ号も初航海で沈没。あわや倒産というところを土佐藩から援助を受けて、この度、土佐海援隊が発足した次第じゃ。脱藩した土佐藩の援助を?と驚かれるのが、まっこと辛い。武市半平太を処刑した敵、土佐藩参政の後藤象二郎と手を組むとは!という批判のあることも知っておる。だが、双方に考えがあってのことやき、隊の所属も土佐藩直属ではなく長崎の出張所である「出崎官」じゃ。
発足にあたり、わしが定めた5つの「規約」があるが、隊員は本藩および他藩を脱する者で海外の志ある者としておる。脱日本ぜよ。これを認めておることやき、しかも土佐藩は薩長優位の政局に大いに焦っておる。薩長・倒幕勢力とつながるわしらと接近し、薩長とのパイプを確保しておきたいがじゃ。
給料は、長崎に置かれた土佐藩の商社・土佐商会から支払われておる。責任者の名前は岩崎弥太郎。この男との不思議な縁は追って詳しく話すが、給料の金額ではもめてのう。一人月5両×隊士16人で百両、しかし隊長が隊員と同じ額とは納得できぬゆて、さらに50両貰うことになった次第じゃ。これで丸山界隈でも、少しはいい顔ができるぜよ!

グラバー住宅 トーマス・グラバー

グラバー住宅

文久三年(1863)に建てられた日本最古の木造洋館。ここで維新の志士たちと商談、密談が行われた。一帯はグラバー園として市内に点在した貴重な洋館を集め、長崎を代表する観光地に

トーマス・グラバー(1838~1911)

日本の産業近代化に貢献した英国人商人。武器や艦船の取引で莫大な利益を上げる。龍馬らとも深く交流


大黒町および出島と長崎港

大黒町および出島と長崎港

海上には帆船や蒸気船が多数停泊しており、長崎港の繁栄ぶりがうかがえる。海岸には各藩の蔵屋敷が並び、外国人居留地や建設されたばかりの大浦天主堂も見える(長崎大学付属図書館収蔵)

和英通韻以呂波便覧

和英通韻以呂波便覧

海援隊は出版にも力を入れた。これは『閑愁録』に次いで発刊された貿易実務用の初級英語辞典の類で、アルファベットの発音や表記、簡単な英単語が紹介されている。これに『藩論』を加えて「海援隊三部作』という(亀山社中ば活かす会収蔵)

丸山界隈

丸山界隈

長崎最大の歓楽街として今も賑わう。入り組んだ路地の一つひとつに歴史が漂う

乙女姉やんのはちきん便り

乙女姉やん

50両も何に使ったんじゃ!?

海援隊の業務内容は、まっこと多岐にわたる。運輸、開拓、本藩の応援、射利、投機、教育、これは法律から経済、航海術、英語などなど、さまざまな分野の専門家を育成するというものです。新たな事業として出版も手掛けるてんこ盛りじゃ。多少、誇大妄想的なところのある男やき、思いつくままの理想を全部掲げたのじゃろう。ところで皆さま、射利とか投機とか給料50両とか聞いて、龍馬をガメツイ男と思わないでくださいね。龍馬にとって大切なのは、早く統一国家をつくって貿易することなんです。個人のお金儲けに夢中になっていたわけではありません。開国のその先、人より一歩先に生きた男が私の弟なんです…。

龍馬像の立つ風頭公園から眺める長崎港

龍馬像の立つ風頭公園から眺める長崎港

龍馬が夢見たニッポンが、当時と変わらぬ長崎の大きな懐が、今もこの港にはある。多くの人をひきつけてやまない長崎港

幕末当時の五島市

江戸最後の福江城とキリシタンの里

江戸時代末期になると、日本最西域である五島近海には、貿易を許されたオランダ、中国の船以外にもさまざまな国の船が頻繁に出没しはじめたため、幕府は五島藩を「異国船方」に命じて、異国船の監視と取締りにあたらせた。その本拠地として築城されたのが福江(石田)城である。城壁の三方を海に囲まれた海城で、石火矢台場が設けられ、海防に万全を期した。嘉永二年(1849)に着工し、足かけ15年の歳月をかけて竣工した日本最後の城である。しかし、明治五年(1872)、築城後わずか9年で廃城となり、今は本丸跡に県立五島高等学校が建っている。


「辞本涯」の碑 堂崎天主堂

「辞本涯」の碑
堂崎天主堂

奈良・平安時代には遣唐使船最後の寄港地となった五島。三井楽町は空海が唐へ渡る際に日本最後の見納めとなった地であり、「辞本涯」の碑がある。また、五島は数多くの教会があることから「キリシタンの里」ともよばれ、福江島にある堂崎天主堂は五島最古の洋風建築物。中は資料館になっていて、キリシタンの歴史を学ぶことができる

大瀬崎断崖 鬼岳

大瀬崎断崖
鬼岳

点在する教会群が有名な五島だが、雄大な自然も魅力の一つ。高さ100メートル以上ある大瀬崎断崖のほか、五島のシンボル的な存在である鬼岳は、芝に覆われた臼状の珍しい火山。心ときめく神秘的な風景と出会える

幕末当時の新上五島町

龍馬も泣いたワイル・ウェフ号の悲劇

慶応二年(1866)5月22日、亀山社中の洋型木造帆船ワイル・ウェフ号が、長崎から鹿児島への航海中、嵐に遭い航行不能となり江ノ浜郷沖の潮合崎まで流されて難破した。このいわゆる「潮合崎騒動」では、乗組員16人中12人が溺死。大砲、小筒、地金などの積荷も船もろとも沈んでしまった。 その後、五島藩はのべ人足875人、船123隻、海士230人、羽差(鯨組の人夫)72人を動員し、積荷を引き揚げ、遭難者を埋葬して供養した。社中の同士、同郷の池内蔵太を失った龍馬もひと月後、社中一行と現地を訪れ、庄屋に慰霊碑の建立を依頼、その碑文は龍馬自身が書いたといわれる。龍馬の傷心は深く、この事件が亀山社中、斜陽のきっかけとなった。碑は江ノ浜郷共同墓地の一角に、遭難船のものといわれる舵取棒が近くの民宿に展示してある。


坂本龍馬ゆかりの広場 漁業体験

坂本龍馬ゆかりの広場
漁業体験

リアス式海岸特有の自然美に恵まれたこの地では、漁業、海産物加工、味覚、地場産業・工芸、教会めぐりと5つの「体験型観光」が用意されている。いずれも複数のコースの中から選択できるシステムになっており、地の文化をより深く体感できる新しい旅の楽しみ方として注目したい(有料、要予約)。新上五島観光物産協会/0959-42-0964

五島手延うどん

五島手延うどん

日本三大うどんの一つである五島うどん。コシの強い細麺が絶品であるが、もとは中国から伝来したといわれる。麺を伸ばす時に五島特産の椿油を引き油として使うのが特徴的。麺をたっぷりのお湯で茹で上げ、そのままタレにつけて食べる「地獄炊き」が有名だが、地元の通は溶き卵に醤油をたらし、ねぎと鰹節をたっぷり入れて豪快にすするという

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