このページは共通メニューを読み飛ばして直接本文をご覧になることができます。直接本文をご覧になるかたは「本文へ」をクリックしてください。
本文へ


HOMEモデルコース龍馬塾 > Vol.4 龍馬、「ニッポン」に目覚める!

モデルコース

Vol.4 龍馬、「ニッポン」に目覚める!

龍馬、「藩」ではなく、「ニッポン」に目覚める!

Q 勝 海舟先生ってどんな人?

A 海舟先生は、わしの人生を大きく変えた人じゃ。わしは出会ったその日に、海舟先生の「外国の圧倒的な武力と争うより、先進的な西洋文明を取り入れ、海軍を創設し貿易を通して国力をつけることが先決だ」という考えに共鳴し、門下生となった。先生から開国を見据えた航海術を学び、黒船のような大きな蒸気船で、世界の海を駆け巡る夢がむくむくと沸き起こってきたんじゃ。
先生は長崎とも関係が深いぜよ。安政二年(1855)から4年間、長崎奉行所の西役所(現・長崎県庁)にあった海軍伝習所の塾生として長崎に暮らし、愛人というか…好きな女子もおって子までもうけたんじゃ。その人の名前はクマさんといって、これがまたなかなかの別嬪やったぜよ。
先生は万延元年(1860)年に咸臨丸という幕府の船で、遣米使節としてアメリカに行ったお人じゃ。わしはアメリカの話を聞いて、まっこと驚いたぜよ。国民がリーダーというか生徒会長というか、投票で選んだ者に国を治める権限を与える大統領制度ゆうもんがあって、大統領は出身や身分に関わらず誰でもなれるがじゃ。だが期限付きで世襲はできん。日本も早くこんな国にならないかんぜよ!目玉の大きさは変わらんが、わしは先生のおかげで広い世界が見えるようになったんじゃ。

勝 海舟

勝 海舟

長崎海軍伝習所時代、4年間長崎に滞在。咸臨丸指揮官として渡米。神戸海軍操練所を創設して龍馬を教頭に据えた。江戸無血開城に尽力


観光丸

観光丸

長崎海軍伝習所の練習船として、安政二年(1855)にオランダから幕府に贈られた観光丸。木造外車式蒸気船で旧名スンビン号。ほぼ当時の姿に復元され、現在はハウステンボスのクルーズ船として活躍している

長崎奉行所立山役所

長崎奉行所立山役所

長崎歴史文化博物館の開館を機に復元併設。天領長崎の政治、経済、外交を統括する役所には、この立山と西役所(現在の長崎県庁)があった。階段や石垣は当時のままで、龍馬もこの階段を上がったことだろう。博物館内には大河ドラマ館「長崎奉行所・龍馬伝館」が2010年1月9日オープンした

長崎海軍伝習所

長崎海軍伝習所

安政二年(1855)から六年まで幕府が長崎奉行所西役所に開設した海軍士官養成の教育機関。オランダ人教師から航海術や砲術などを学んだ。背後に出島と観光丸が見える(鍋島報效会収蔵)

乙女姉やんのはちきん便り

乙女姉やん

心は女性よりも世界に飛んでいて…。

海舟先生はひらけたお人だったみたい。当時、奥さん以外に女性を囲う男性は武家、裕福な商家とも多かったことは確かだけど、子どもまでつくったクマさんを長崎に置いたままにして。龍馬も江戸の千葉道場の佐那さんと婚約したんだかしないだか、土佐の幼馴染だった平井加尾さんにも意味深な手紙を送ったりしていたけど、形にならず。まっこと女性よりも心は世界に飛んでいるというか…。でも海舟先生は日本中のお偉いサンを龍馬に紹介してくれたんです。将軍さん、西郷さん、お公家の岩倉具視さん、そして長崎という世界の入り口に龍馬を導いてくれたお人じゃ。これこそ運命の出会いというもの?!

日本初の英字新聞

日本初の英字新聞も長崎から

文久元年(1861)6月22日創刊の「Nagasaki Shipping List and Advertiser」。タブロイド版で2~4ページ、週2回発行。出入国や各国公館の情報、長崎のローカルニュースも掲載(長崎歴史文化博物館収蔵)

幕末当時の雲仙市

シーボルトも恍れた。白濁の雲仙温泉

雲仙温泉の歴史は古く、奈良時代にさかのぼる。承応二年(1653)には藩命により共同浴場「延暦湯」が開かれ、元禄八年(1695)には、湯治客用の湯宿も開業した。出島のオランダ商館医ケンペルやシーボルトが雲仙を紹介したことで、幕末の頃にはヨーロッパでも評判になったという。
明治新政府に関わる人材を輩出した松下村塾の主宰者・吉田松陰も、長崎・平戸に遊学中の嘉永三年(1850)12月7日、一乗院(現・満明寺)を見学した後、「小地獄」へ入湯。高台から島原城下を望み、「この地では多くの豆腐をつくる。往復十里、帰りついた時、日はすっかり暮れていた」と日記に記している。


雲仙温泉

雲仙温泉
雲仙観光ホテル

島原半島中央、標高約700メートルの高原に広がる雲仙温泉は、明治から昭和にかけて、長崎や上海に滞在していた外国人たちの避暑地としても栄えた。ノーベル文学賞を受賞したパールバック、障害者福祉の充実に尽力したヘレンケラーなど、著名人も訪問

温泉レモネード

温泉レモネード

風呂上がりの「温泉レモネード」の味もまた格別

幕末当時の西海市

キリシタン大名発祥の地で、夢の宴

慶応二年(1866)11月、グラバーから秘密裏に銃器調達終えた長州藩士・桂小五郎は、長崎からの帰路松島に寄港し、三国屋に投宿。大村藩の勤王の志士・渡辺昇らの歓待を受けた。尊王倒幕へ藩論をかためた大村藩士が、「夢は夢 夢の夢にて過ぎこしを 今宵はさめて君と語りつ」と詠うなど、新しい時代の到来を予感させる宴となった。
その宴からおよそ300年前、西彼杵半島北端のこの小さな入り江が、南蛮貿易の拠点として突然、世界史の表舞台に登場した。永禄五年(1562)、戦国大名・大村純忠が、平戸を追われたポルトガル人を藩領の横瀬浦に受け入れ、ここで自ら洗礼を受けて日本最初のキリシタン大名となったのである。教会が建ち、大勢の信者が集まってきたという港は、国際貿易港としての繁栄もつかの間、内乱の戦渦により一年あまりで、その役割を長崎へと譲った。


横瀬浦 さいかい丼

横瀬浦
さいかい丼

西彼杵半島の北部で、三方を五島灘、佐世保湾、大村湾に面した西海市は沿岸漁業が盛ん。毎年春と秋には、西海ブランドの魚介類を使った「さいかい丼フェア」が開催され、参加店ごとに工夫を凝らした旬の味覚が堪能できる。三国屋の「夢の宴」にも、新鮮な海の幸が饗されたのであろうか

七ツ釜鍾乳洞

七ツ釜鍾乳洞

島や岩礁が多いこのエリアでは、海底が隆起してできた地底の王国・鍾乳洞を探険してみよう。全長1500メートル以上ある七ツ釜鍾乳洞では、グループでの入洞時(要予約)に、一般公開されていない区域(600メートル)に入洞できる。
お問い合わせ先/0959-33-2303

ページトップへ