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モデルコース

vol.14 希望の地、長崎

日本回天を導いた希望の地、長崎!

Q 龍馬にとって、長崎とは?

A 鎖国の時代から海外との唯一の窓口として開かれていた長崎は、幕末、すでに成熟した文明最先端の町だった。海舟先生と初めて長崎を訪れたときの驚きを改めて言うつもりはない。一つ言いたいのは、異国情緒あふれるこの町の混沌とした活気に身を置いた時、わしの中に翼が生えたことじゃ、希望という名の翼だ。四肢にエネルギーが満ちて、ここからすべては始まる、やがて日本の回天の足場になる、そんな気持ちになったのを覚えておるわ。
江戸も京も封建的でガチガチの衣を着ておる。風は吹き初めていたが、その行方は誰も知らん。だが長崎には大きな空があり、まっこと正しい方向へ風が流れておった。新しい未来という方向へのう。わしらが興した亀山社中の制服は、揃いの白袴。世界中の海を駆け巡る水夫のイメージで作ったがじゃ、身分や出自で規制されぬ自由でまっさらの精神を重んじたというわけじゃ。それが許される場所、それが長崎ぜよ!
長崎で成しえた海援隊の外国人商人との貿易業務、そして薩長同盟によってわしは幕府から危険人物としてマークされるようになる。その結果、わしの最期はずいぶんと早まった。夢見ていた海外進出も維新後の日本の変化・発展も見ることはかなわなかった。だが後悔はないぜよ。長崎があったればこそ、わしは皆の心に永久に生き続けるのだから!


坂本龍馬の墓

坂本龍馬の墓

京都の霊山護国神社に中岡慎太郎と並んで葬られている。ここ旧霊山官修墓には、桂小五郎、高杉晋作など維新の志士1043名が祀られている

中岡慎太郎(1838~1867)

中岡慎太郎(1838~1867)

長州で尊王攘夷運動の中心として活躍。龍馬とともに薩長同盟締結に尽力、その後は陸援隊を組織し、武力倒幕を目指した。京都河原町の近江屋で京都見回り組みに襲撃され、龍馬とともに暗殺される(国立国会図書館ホームページより転載)

坂本龍馬

坂本龍馬

龍馬は国事に奔走しながら、海援隊に関わるそれぞれの事件処理のために機敏に動き、雄藩や外国人相手に粘り強く交渉や談判を重ねていった。自らの夢の実現に向けて一つひとつ壁を乗り越え、人間としてもリーダーとしても大きな成長を遂げていくのである。その舞台が長崎という地であった

乙女姉やんのはちきん便り

乙女姉やん

「先々、御ぶじで、をくらしよ」の言葉で締めくくって…。

この言葉は、龍馬が慶応三年、(1867)1月、姪の春猪(はるい)に宛てた手紙の末尾に書かれていたものです。そして同じ文面に「露の命ハハカラレズ」と綴っております。私はこの手紙を読んだ時に不吉な予感がしてなりませんでした。予感はその年の冬、龍馬暗殺という形で的中、大政奉還の1カ月後のことです。その日、京都の町は冷え込み、前日から風邪を引いていた龍馬は土蔵の隠れ家から母屋に移ったために、悲劇は避けることができなかったと。全身に34カ所の刀傷があったそうです。天に意思があったとしか思えないと、後に司馬遼太郎先生も言っておられるが、私も同感です。龍馬の使命はここで終わったのだと。すでに未来の扉は、龍馬の手によって大きく開かれたのだから。

坂本龍馬

維新から約140年、長崎には今なお武士の心、人々の夢や信仰、長い試練の歴史、多様な文化文明のかたち、それらが交差する美しい風景が広がっている

五島列島の教会群

五島の島々へ散っていったキリシタン

日本最初のキリシタン大名・大村純忠の元には、多くのキリシタンたちが集まってきたが、徳川幕府によってキリスト教禁止令が出されると一転、大村藩にも弾圧の嵐が吹き荒れた。
寛政九年(1797)、信者たちは大村領の外海から故郷を棄て、信仰の自由を求めて海を渡った。最終的には3,000人ものキリシタンが、五島の島の津々浦々に散っていったという。しかし、たどり着いた先で彼らを待っていたのは、僻地の荒れ野と赤貧の日々、そして変わらぬ迫害。弾圧は明治に入ってもなお続き、明治元年(1868)の「五島崩れ」では42名もの殉教者を出した。明治六年(1873)になってようやく禁教が解かれると、辛抱強く蒔き続けてきた信仰の種は、五島の島々に50もの美しい教会堂となって珠玉の実を結ぶ。


堂崎教会(世界遺産暫定リスト登録)

堂崎教会(世界遺産暫定リスト登録)

明治十三年(1880)献堂、明治四十一年(1908)に現在の煉瓦造にコウモリ天井を持つ荘厳な姿に生まれ変わった。今は資料館として利用されている。県指定有形文化財。
お問い合わせ/0959-73-0705

青砂ヶ浦教会(世界遺産暫定リスト登録

青砂ヶ浦教会(世界遺産暫定リスト登録

明治十一年(1878)建設。明治四十三年(1910)に重層屋根の煉瓦造に。深いコウモリ天井と、ステンドグラスの神秘的な光が、荘厳な空間を演出する。国指定重要文化財

旧五輪教会(世界遺産暫定リスト登録)

旧五輪教会(世界遺産暫定リスト登録)

久賀島東岸の入り江に佇む旧五輪教会は、明治十四年(1881)に建設された五島最古の木造教会。内部は三廊式、コウモリ天井の立派なゴシック調。国指定重要文化財

教会は信者たちの心の拠り所

明治十三年(1880)、五島に初めての教会が福江島の堂崎に建てられた。つらい迫害の歴史を乗り越え、つつましく蓄えたお金を出し合って、信者たちは自らの手で祈りの舎を築いた。これを機に、教会は信者たちの心の拠り所となり、島のあちらこちらに教会が誕生した。ヨーロッパの教会建築の中に和の手法を取り入れ、賛美歌やオルガンの音がよく反響するように考慮して…。壁にはもちろん十字架とステンドグラスがある。鐘楼からは毎日、朝夕にアンジェラスの鐘が鳴り響く。五島には今も、暮らしの真ん中に信仰が息づいている。


江上教会(世界遺産暫定リスト登録)

江上教会(世界遺産暫定リスト登録)

明治三十九年(1906)に奈留島の西岸に建てられた。木造教会建築の粋美といわれる柱や壁面の精密な装飾を持つ。国指定重要文化財

頭ヶ島教会(世界遺産暫定リスト登録)

頭ヶ島教会(世界遺産暫定リスト登録)

大正八年(1919)に完成した頭ヶ島教会は、石造の重厚な外観に対して、内部はパステル調の淡い色彩と、折上天井を飾る椿の意匠が美しい。国指定重要文化財

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