

Q 龍馬の夢を継いだ岩崎弥太郎ってどんな人?
A 弥太郎は、わしと同じ土佐藩の郷士。…その郷士の株も売ってしまった地下浪人の岩崎家の長男で、豪商の本家から分家した坂本家に比べたら、まっこと貧しかった家の出身やけんど、子どもの頃から頭が良く勉学に秀で、土佐第一の寧浦(ねいほ)塾で神童といわれた男ぜよ。殿様から褒章をもろうたこともある。出来が悪く、楠山庄助先生の塾から退学させられたわしとはそもそも頭の仕組みが違う。藩でも財務関係で重用され、後に長崎の土佐商会の主任として着任して来たんじゃ。亀山社中が土佐藩から援助を受けて海援隊として発展的改組したことは前に述べたが、隊士の給与は弥太郎が窓口になって支払われていたんじゃ。海援隊士を乗せた「いろは丸」と紀州藩所有の「明光丸」が衝突した「いろは丸事件」でも、やつには本当に世話になった。なかなか気も合って、丸山でもよく一緒に飲んだものよ。
それはさておき、維新後に海援隊は解散になり、弥太郎はその海援隊の仕事を引き継ぐかのように、土佐商会を譲り受けて三菱商会を設立。海運業や造船業を興し、三菱財閥の創始者となった。世界の海を駆け巡るわしの夢を継いだのが岩崎弥太郎といっても過言ではない。まっこと経営者として辣腕の男じゃ。

長崎製鉄所
文久元年(1861)長崎海軍伝習所の付属施設として飽ノ浦に長崎熔鉄所が落成した。日本の近代造船の嚆矢として、後に長崎製鉄所、三菱長崎造船所へと変遷する(長崎大学附属図書館 所蔵)

岩崎弥太郎(1834~85)
土佐商会主任として藩の貿易に従事する傍ら、海援隊への出資の窓口を務める。維新後は三菱財閥の基礎を築く(国立国会図書館ホームページより転載)

トーマス・グラバー
(1838~1911)
日本の産業近代化に貢献した英国人商人。武器や艦船の取引で莫大な利益を上げる。龍馬らとも深く交流

長崎帆船まつり
国内外の大型帆船が集結する「長崎帆船まつり」。龍馬や弥太郎が生きていたらどのような思いで眺めるだろうか

幼馴染の二人が…運命のいたずらでしょうね。
まっこと秀才やき、岩崎さんくの弥太郎さんは。家は貧乏でしたが、あそこのお母さんがよくできたお人で、実に教育熱心でしたね。といっても土佐藩の身分制度は厳しく、雨の日に郷士(下士)は傘もさせず下駄も履いてはいけない。人格や人権がまったく認められない制度の中で頭角を現すには、学問しかないと思ったんでしょう。そして息子を窮屈な藩から江戸へ留学させたこのお母さんの見識は鋭い。広い視野と状況把握に長けた先見の明を持つ人間に成長した弥太郎さん、いや出世頭じゃ。長崎で8年ぶりに再会した二人が回した時代のステージは必然だった。でもスター役者を育てたのは、母やら姉やら女房やらの女の力です。いつの時代も女が歴史をつくるって、まっこと真理じゃ!
三菱重工業(株)長崎造船所資料館
長崎の造船の歴史がすぐにわかる(要予約)。
お問い合わせ/095-828-4134
『学問ノススメ』などを著し、慶應義塾を創立した福澤諭吉は、幼い頃から酒をたしなんでおり、しかも相当な酒豪だったとか。安政元年(1858)、19歳の諭吉は、オランダ語を学ぶために1年間長崎に遊学していたが、この間「死んだ気になって禁酒していた」らしい。
しかし、諫早まで来た時、とうとう禁酒の約束を破ってしまう。それもそのはず、諫早平野は県下最大の穀倉地帯で、標高1,000メートルの多良山系から流れ込む伏流水を使った酒造りが、江戸時代には盛んに行われていたのだから。諫早のうまい酒が、諭吉の五臓六腑に染み渡ったのは間違いない。

諫早平野
うなぎの蒲焼き
すっぽんゼリー
佐賀県との県境にそびえる多良山系から諫早平野に注ぐ清流・本明川の恵みは、米づくりばかりか、多彩な食文化を育んできた。田畑に水を供給するクリークや、諫早湾に注ぎ込む支流からは昔から鰻が捕れ、すっぽんの養殖も有名。コラーゲンたっぷりのすっぽんゼリーは女性に人気がある
慶応三年(1867)一月三日夜、大村城下では、勤王派の家老・針尾九左衛門と藩校教授・松林飯山が襲撃され、これに連座したとして藩内佐幕派26人が処刑。藩論は勤王に統一された。
この渦中にいたのが、尊王攘夷派の渡辺清・昇兄弟と「三十七士同盟」の若手藩士たち。昇は、長州の桂小五郎と親しく、坂本龍馬から薩長同盟の斡旋を頼まれるほどの人物。清は、江戸城無血開城を決めた勝海舟と西郷隆盛の会談にも同席している。後に、清は福岡県令、昇は大阪府知事など、政府要職を歴任した。

三十七士の碑
渡辺清・昇兄弟

天正少年使節
かつて日本最初のキリシタン大名・大村純忠が治めた肥前大村藩。純忠らが派遣した天正少年使節4人のうち、中浦ジュリアン、原マルチノは大村藩士の子弟であった。大村家はその後、江戸幕府の鎖国令に伴い日蓮宗に改宗。幕末には他藩同様、勤王か、佐幕かで藩内は揺れていた
写真提供:京都大学附属図書館

玖島城跡(大村公園)
大村藩が藩庁とした玖島城は現在、大村公園として整備され市民に親しまれている。春は大村桜(国指定天然記念物)、玖島桜(県指定天然記念物)など200本が咲き乱れ、初夏には30万本ものハナショウブが見頃を迎えるほか、お花見のメッカとして一年中楽しむことができる