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モデルコース

龍馬と海舟が通った九州横断ルート 長崎編 「幕末・龍馬,名所・旧跡,クルーズ」

元治元年(1864年)2月、坂本龍馬30歳。
師である勝海舟と共に龍馬は大分県佐賀関から九州を横断。
熊本からは海路で島原港に渡り、島原半島を横断後、さらに西へ。
長崎到着までの2日間の足跡をたどってみましょう。

アクティブさ ★★★★★ 感動、発見 ★★★★ ロマンチック度 ★★★★

熊本港発島原外港着島原城下本陣跡・中村家屋敷具雑煮神代小路・鍋島邸愛野展望所小浜温泉のお宿へ龍馬の井戸福済寺出島ワーフ長崎奉行所 立山役所跡(長崎歴史文化博物館)長崎亀山社中記念館

1日目

龍馬一行と同じく、海路から島原へ上陸[熊本港発]

元治元年2月21日、龍馬一行は夜に熊本を出船、島原へは夜明けに到着。136年後の現代では超高速カーフェリーでわずか30分ほど。

龍馬一行と同じく、海路から島原へ上陸[熊本港発]

到着後、実際の龍馬上陸の地へ[島原外港着]

実際に龍馬を乗せた船が着いたのは、現在の南島原駅近く。目印は「龍馬 島原初上陸の地」の碑。龍馬が上陸した階段も残っています。

到着後、実際の龍馬上陸の地へ[島原外港着]

上陸後、町年寄・中村家で休憩[島原城下本陣跡・中村家屋敷]

本陣とは大名などの宿泊所。島原では城下の中村家屋敷が利用されました。軍艦奉行の海舟と龍馬を出迎えた門構えは当時のままに。

上陸後、町年寄・中村家で休憩[島原城下本陣跡・中村家屋敷]

龍馬も食べた?島原の郷土料理[具雑煮]

島原の乱で原城籠城軍が農民達にもちを兵糧として貯えさせ、いろいろな材料を集めて雑煮を炊いたのが始まり。具だくさんで栄養満点!

龍馬も食べた?島原の郷土料理[具雑煮]

龍馬一行はここでランチ[神代小路・鍋島邸]

佐賀藩鍋島氏の陣屋跡。入口には元禄期に建てられた約30mの石垣とそれにつづく長屋門が。門と主屋の先には枯山水の庭園もあります。

龍馬一行はここでランチ[神代小路・鍋島邸]

元治元年2月22日、会津に到着[愛野展望所]

"会津"とは現在の雲仙市愛野町のこと。国道57号線沿いの愛野展望所は眼下に橘湾、南東に雲仙普賢岳を望む絶景スポットです。

元治元年2月22日、会津に到着[愛野展望所]

橘湾を望む「海の湯」の温泉地へ[小浜温泉のお宿へ]

龍馬一行は "会津"(現・愛野町)に宿泊。このコースではそこから車で15分ほど南下した小浜温泉へ。湯上りさっぱりの食塩泉で心も体もリフレッシュ。

橘湾を望む「海の湯」の温泉地へ[小浜温泉のお宿へ]

2日目

幕末の志士たちの喉を潤した井戸[龍馬の井戸]

諫早市久山に残る久山茶屋跡。江戸時代の脇街道・「長崎街道」沿いにあったこの茶屋の井戸を、龍馬も飲んだとか、飲まなかったとか。

幕末の志士たちの喉を潤した井戸[龍馬の井戸]

元治元年2月23日、長崎到着[福済寺]

大分の佐賀関に上陸してから9日目。龍馬一行はこの福済寺に約40日間、滞在。このお寺で龍馬と海舟が相撲をとったというエピソードも。

元治元年2月23日、長崎到着[福済寺]

海を見ながらランチタイム[出島ワーフ]

龍馬ともゆかりの深い出島の傍の海岸には、「出島ワーフ」があります。海風とともにランチタイムを楽しみましょう。

海を見ながらランチタイム[出島ワーフ]

龍馬も何度かお世話になりました[長崎奉行所 立山役所跡(長崎歴史文化博物館)]

海舟との旅では調査のために訪問。その3年後は、イカルス号事件の参考人として出頭。現在の奉行所の階段と石段の一部は当時のものとか。

龍馬も何度かお世話になりました[長崎奉行所 立山役所跡(長崎歴史文化博物館)]

海舟との旅の翌年、「亀山社中」設立[長崎亀山社中記念館]

龍馬による日本で始めての貿易会社「亀山社中」。龍馬の躍進はここから始まります。詳しくは幕末当時の遺構を再現したこの記念館で。

海舟との旅の翌年、「亀山社中」設立[長崎亀山社中記念館]

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