![かつての悲劇を今に伝える[ほねかみ地蔵]](images/route_01_title.gif)
明和3年(1766年)、有馬村願心寺の注譽上人がこの戦乱で倒れた人々の骨を敵・味方を問わず拾い、霊を慰めた地蔵尊塔です。


370年前、天草四郎を総大将として数万人の
キリシタンや農民が立て篭った「島原の乱」。
悲劇の舞台となった国指定史跡・原城跡を、
わかりやすく、楽しく案内します。










![かつての悲劇を今に伝える[ほねかみ地蔵]](images/route_01_title.gif)
明和3年(1766年)、有馬村願心寺の注譽上人がこの戦乱で倒れた人々の骨を敵・味方を問わず拾い、霊を慰めた地蔵尊塔です。
![かつての悲劇を今に伝える[ほねかみ地蔵]](images/route_01_photo.jpg)
![遠く沖を航行する船から見えた可能性も[原城本丸大手門跡]](images/route_02_title.gif)
平成16年度の発掘調査で、大量の瓦・陶磁器などと共に発見。遠望を意識した豪華な外観であった可能性があり、当時の有馬氏の権力を再確認するものといわれています。
![遠く沖を航行する船から見えた可能性も[原城本丸大手門跡]](images/route_02_photo.jpg)
![国内最大級の虎口遺構[枡形虎口]](images/route_03_title.gif)
原城本丸の正面玄関に相当する虎口(城の主要な入り口)遺構。南北90m・東西80mと非常に大きく、また複雑で戦闘的な構造であったことが分かっています。
![国内最大級の虎口遺構[枡形虎口]](images/route_03_photo.jpg)
![一揆軍籠城の建物跡[竪穴建物跡群]](images/route_04_title.gif)
島原の乱で一揆軍が立て籠もった、地面を掘り込んだ半地下式の小屋。この竪穴建物跡群の発掘で、一揆軍の実態が少しずつ明らかになってきているそうです。
![一揆軍籠城の建物跡[竪穴建物跡群]](images/route_04_photo.jpg)
![口之津、天草を見渡せる[櫓台跡]](images/route_05_title.gif)
天主なるものが建っていたのではないかと思われる場所。石垣内の隅の壊された部分に大量の瓦が出土しています。
![口之津、天草を見渡せる[櫓台跡]](images/route_05_photo.jpg)
![天草四郎の最後の居宅跡か[本丸門跡(四郎家)]](images/route_06_title.gif)
史料に記されている天草四郎最後の居場所とも一致する遺構。本丸の大規模な虎口の最奥部では、周囲を石垣で囲まれている門の礎石も見ることができます。
![天草四郎の最後の居宅跡か[本丸門跡(四郎家)]](images/route_06_photo.jpg)
![島原の乱の総大将[天草四郎像]](images/route_07_title.gif)
原城本丸で祈りを捧げる天草四郎像。長崎平和祈念像で有名な南島原市出身の彫刻家、北村西望氏の作品です。
![島原の乱の総大将[天草四郎像]](images/route_07_photo.jpg)
![ゆかりの深い原城跡へ[天草四郎の墓]](images/route_08_title.gif)
明治31年、西有家の民家の石垣の中から供養碑が発見され、その後ゆかりの深い原城に移されました。
![ゆかりの深い原城跡へ[天草四郎の墓]](images/route_08_photo.jpg)
| お申し込みについて | ||
|---|---|---|
| 実施期間 | 通年 | |
| 集合場所 | 原城跡駐車場 | |
| 最寄り駅・港 | 島原鉄道 島原外港駅、口之津港 | |
| 催行人数 | 1名~ | |
| 食事 | 無 | |
| 料金(1団体) | 1名~15名:1,500円 16名~30名:3,000円 |
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| お申込み | 南島原ひまわり観光協会 ※申込み締切 3日前迄 TEL:0957-76-1800 FAX:0957-76-1801 E-mail:kankou@himawarinet.ne.jp |
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