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モデルコース

アンゼラスの鐘の丘を訪ねて ~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~ 「平和,史跡・旧跡,博物館・資料館」

1945年8月9日11時2分。長崎市松山町の上空500mで、
人類史上2番目の原子爆弾が炸裂。
一瞬のうちに廃墟となったこの地も、
半世紀以上の時を経て、美しい公園として整備されています。

大人の旅度 ★★★★★ 貴重・レアな体験 ★★★★★ 感動、発見 ★★★★

原爆落下中心地碑旧松山町防空壕跡司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑長崎刑務所浦上刑務支所遺壁市立山里小学校(山里国民学校跡)如己堂永井隆記念館浦上天主堂鐘楼ドーム浦上天主堂

黒御影石の碑が表す爆心地[原爆落下中心地碑]

原爆落下当時は、地元有力者の別荘と庭があった場所。当初はスレート製煙突の破片に消し炭で「爆心」と書いた標識が立てられていました。

黒御影石の碑が表す爆心地[原爆落下中心地碑]

一人の少女の命を救った防空壕[旧松山町防空壕跡]

原爆落下時は警報解除中だったため、町民のほとんどは被爆。壕で遊んでいた9歳の少女だけが、町内唯一の生存者となりました。

一人の少女の命を救った防空壕[旧松山町防空壕跡]

世界に向けて平和を発信する公園[平和公園と平和祈念像]

8月9日の平和記念式典が行われる場所。祈念像は長崎出身の彫刻家・北村西望作。右手は原爆の脅威を、左手は平和を表しています。

世界に向けて平和を発信する公園[平和公園と平和祈念像]

僅かに残った外壁が当時をしのばせる[長崎刑務所浦上刑務支所遺壁]

爆心地から200mの刑務所は瞬時に倒壊。受刑者や未決囚、看守とその家族134人全員が死亡。中国・朝鮮人45人も含まれていました。

僅かに残った外壁が当時をしのばせる[長崎刑務所浦上刑務支所遺壁]

千羽鶴と佇む永井博士ゆかりの碑も[市立山里小学校(山里国民学校跡)]

被爆により児童1581人のうち1300人、教師28人が亡くなりました。校舎裏手の防空壕は、事前の申し込みで見学も可能です。

千羽鶴と佇む永井博士ゆかりの碑も[市立山里小学校(山里国民学校跡)]

永井博士が暮らした畳二畳の自宅[如己堂]

被爆しながらも救護活動に奔走した永井隆。2人の子どもと共にここで暮らし、「長崎の鐘」「この子を残して」などを執筆しました。

永井博士が暮らした畳二畳の自宅[如己堂]

平和を希求し続けた生涯をたどる[永井隆記念館]

博士の遺品や写真、著作などを展示。2階には近所の子どものために開放した「うちらの本箱」の精神を受け継いだ図書館もあります。

平和を希求し続けた生涯をたどる[永井隆記念館]

朝夕に響いていたアンゼラスの鐘[浦上天主堂鐘楼ドーム]

鐘楼の左塔のドーム部分は、爆風で落下し北側の川底へ崩落。右塔の鐘は瓦礫の中から発掘され、今も変わらぬ音を響かせています。

朝夕に響いていたアンゼラスの鐘[浦上天主堂鐘楼ドーム]

原爆の脅威を今に伝える聖堂[浦上天主堂]

30年の歳月をかけて建てられた聖堂が、原爆により全壊。1981年の法王ヨハネパウロ2世来日を機に、昔日の面影がよみがえりました。

原爆の脅威を今に伝える聖堂[浦上天主堂]

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